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こんにちは、翼祈(たすき)です。
私は小さい頃、病気知らずで、生まれつき感音性難聴で片耳の聴力がないことや、発達障害はありましたが、それ以外は幸せでした。
片耳難聴であっても、健常者に近い生活ができていたのは、私の身近な存在だった母がいたからだと思います。
母は強い人です。
祖母が母が生まれた時貧しくてほとんど食べ物を食べられなかったことで難産で、小さく生まれ、それでも祖母から「簡単に泣くな」と言われて育ったことで、私が何でも成長が遅かったりなどを、周りから色々言われて悔しくても、決して涙を見せず、私のことを手を握って、守ってくれました。
私のことで悩みも人以上に多かったと思います。今でも喧嘩したりします。
今は昔より障害に寛容であっても、あの当時人が、私のことを言った。
それでも、小さな身体で、私のことを守ってくれた。感謝しかありません。
この記事では、障害児がいることで、仕事を休みがちとなっても、職場に配慮がない、お母さん達が抱える悩みについて書きたいと思います。
障害児のいるお母さん達が持つ悩み。配慮して欲しいこととは?
2023年8月6日、子育てと仕事の両立について、従業員に障害児がいても「特に配慮していることはありません」と回答した企業は81.7%に上ることが、厚生労働省の実態調査で判明しました。
従業員の子どもに障害があったり、医療的ケアが必要だったりした際の配慮(複数回答)は、81・7%が「特になし」としたのに対し、「短時間勤務などの利用期間延長」は4・0%、「育児休業などの取得年数延長」は3・3%。「育児や家事支援サービスの補助」は1・2%だった。
障害児のご両親は通院や通所の付き添いで仕事を休まないといけないことも多く、キャリアを諦めざるを得ないことが多いと言われています。政府の検討会は企業に対し、従業員の意向を尊重したサポートを提供することを要求しました。
母が私を子育てした時代
今でもないとは言い切れませんが、あの当時は今以上に男尊女卑の強い時代でした。
母がお嫁に来た時、父は「嫁に来てくれたことで、お袋や親父の面倒を見てくれる人がいるから助かる」と軽く言ったそうです。
母は義理の両親、父の姉である義理の姉に色々言われながら、仕事もしつつ、私を育てました。
父が義理の両親から、「息子は疲れているから寝かせておいていい」と言われて、休日は家で16時過ぎまで寝て、その後フラッて出て行って、どこかで食事を済ませてくる、自由奔放な父もいたり、義理の両親から「ああしろ、こうしろ」と言われたことは、守って来ました。
義理の両親が亡くなって、私もそれなりに成長し、それは今思えば発達障害の影響でありましたが、何でも遅く不器用でできない私に周囲の大人たちは、私ではなく、母に「何もさせていないから、この子はこんなに何もできないんだ」と罵声を浴び続けました。
母は、「私は言いやすい人間らしくて、昔何でも色んな酷いことを言われ続けてきたよ」と、よく当時をそう振り返ります。
母が仕事に行って、忘年会など飲み会がある時、「子どもなんて、家に一人で置いていてもどうにかなりますよ」と同僚から言われても、「この子を一人で置いて、飲み会になんかいけない」と言って、行くことはありませんでした。
それは義理の両親が亡くなり、実親は県外に住んでいることで、預け先がないこともありました。
母が言われ続けた罵声は、私が大人になって仕事をしていることで、私に直接向けられますが、それでも苦しい子育てを終えた母に言う声が減ったことは良かったと思います。私も大人なので、責任は私が取るべきなので。
父は戦後生まれでも、戦前に近い考え方があって、今でも亭主関白で、男尊女卑が強い傾向にある。父は今、「自分はおじいちゃんだから。貴方の役割は奪いません」と言って、相変わらず母に何でも、身の回りのことをさせます。
そんな母は最近、住んでいる場所の健康診断で、あることに引っかかりました。経過観察となりますが、油断はできません。
この記事では母が苦しかった子育てしていた時代を経ても、こんなにも障害児のいるお母さん達に配慮がされないものなんだと、言葉を失いました。
医療の進歩で、助かる命が増えて、長生きする障害児も増えた。それだけ色んな障害児のいる中で、配慮が全然ないのは悲しい。
それは令和という時代になっても、障害を持つ者に対する偏見が強いということ。
私は子育てする予定もないので、守るべきものは第一は母です。
母から貰った深い愛情を返したいですし、私が今度は母を守る番だと感じています。
noteでも書いています。よければ読んでください。
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