不登校だった娘さんが生み出した、Studio Humming Birdさんの「寿司ペン」を作り、思った事

Studio Humming Bird

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このアイキャッチは、翼祈(たすき)が、ハンドメイドのワークショップに参加して、実際に製作して写真撮影したものです。

こんにちは、翼祈(たすき)です。

私は、2024年10月19日(土)に、博多駅で、Studio Humming Birdさんのハンドメイドのワークショップに参加して来ました。

コロナ禍を経て、少しずつ再開したワークショップに行くことは、私の楽しみの一つです。

前は、「何でも行く」という人でしたが、コロナ明けしても、基礎疾患があることで、「身体には気を付けなきゃ」と思っています。

今は「これに行くために、それまで仕事を頑張ろう」とか、厳選して行くことで、行けた時の喜びや作れることへの感謝、素敵な先生の出逢いや会話を、1つずつ楽しめ、充実した休みの日を過ごすことができる様になりました。

厳選して行くことで、公休の日も、大体いつでも良いとまだシフト表に仮で入れている休みを残せ、どれにしようか迷うことなく、その日1日を楽しむことに集中できます。

Studio Humming Birdさんのワークショップに参加して行くことにしたのは、久しぶりにそこの会場のワークショップが開催されるお知らせの公式ホームページを見て、「作ったことないから、行きたい!」と思ったのは確かですが、理由はそれだけではありません。

先生の公式SNSを見てみると、

不登校の娘が生み出した、寿司のボールペン

と紹介されていました。

私も大学時代、不登校を経験したことで、それまでのハンドメイドの先生とは違う想いを抱きましたし、「絶対に、先生に会いに行かなくちゃ!」と思って、行くことを決めました。

この記事では、Studio Humming Birdさんの先生に記事を書くことの許可を得た、どうして娘さんが、「寿司ペン(ミニチュアボールペン)」を作り始めたなどを紹介したいと思います。

先生の娘さんが、不登校から「寿司ペン(ミニチュアボールペン)」を生み出し、学校に行ける様になるまで

先生の娘さんは、対人関係での悩みや、いじめを受けて、学校に行けなくなり、不登校になったといいます。ここからは箇条書きの方が分かりやすいと思うので、娘さんが学校に行けるまでは、そうします。

・不登校で娘が家にいた時、時間があるので、何かしようと思った時に、元々器用だったこともあって、ハンドメイドのアイテムを作り始めました。

・ハンドメイドは樹脂粘土で作ったミニチュアで、最初は卵焼きとか、大きなものも作っていましたが、「手元に置けるものがいいよね」となって、作るものもどんどん小さくなって、ボールペンに入れられるサイズの寿司を思い付きました。

・ボールペンは、ハーバリウムボールペンに使うパーツを活用し、元々それ専用だったので、液を入れるための栓が、この中にもあります。

・初めは、通販のみで販売していました。そのうち、店頭での販売もしていきました。通販で初めて購入して頂いた時に、「ありがとうございます」と喜んでくれたメッセージは、娘は今でも忘れられないといいます。

・店頭で販売していて、不登校だった当時は、娘も店頭に立ち、お客様との直接的なやり取りや、「素敵ですね」「買います」という温かい言葉に、笑顔に勇気を貰え、前向きな力を手にして、自信も彼女の中で取り戻していきました。

・「学校に行く」と言った時、学校が手厚くサポートしてくれました。加害者と接触しない様に、階を分けて、クラス編成したり、配慮もしてくれました。学校の手厚いサポートは、10年以上前より、良くなったと感じています。

・友達が支えてくれたことも大きく、今では学校の修学旅行にも行くなど、学校に行ける様になりました。

・娘が生み出した「寿司ペン(ミニチュアボールペン)」は、学校に行くことを再開してから、母である私が引き継ぎました。

・元々シンガポールに住んでいたこと、「ハンドメイド作家のアイテムを、海外へ!」と海外支援してくれる企業もあることで、海外展開もできて、アメリカ・ニューヨーク、シンガポール、中国など色んな国でも、「寿司ペン(ミニチュアボールペン)」を販売し、日本を含めて、これまで1万本以上、多くの人がこの商品を手に取ってくれました。

ここまでが、娘さんが、不登校から学校に行けるまでの話でした。

先生が、

娘を守るために、学校には行かせなかった」や、「不登校から学校に行ける様になるためには、学校の協力が必要

という言葉は、当事者だからこその重みのある言葉だったと思います。

私が大学生の時、高校まで手厚かった先生のサポートもなく、自分で聞く人がいなくて、分からないまま講義のカリキュラムを組むこと、

不登校のきっかけになった、元寮で相部屋だった同じ学科の子の、集団での陰口を聞いて行けなくなったことも、自分を守るためだったと、今そう思います。

元々ハンドメイド自体好きなので、そういう話以外にも、「どうやって作っているんですか?」なども聞けて、作っている時も写真で見せてくれました。

今では作ることに慣れた寿司などのパーツも、1つ当たり200個毎日作られるそうです。

1番簡単な寿司ネタはマグロ

色んな色を重ねてグラデーションにして、金太郎飴みたいに切っていくだけだそうです。

1番難しい寿司ネタはエビで、尻尾を三角に切らないといけないかららしいです。

ネギも小さくて大変ですが、こうやって何重にも巻いて、それを切っていくだけで、透明なトレイに切って入れたら、大丈夫。時々どこに行ったか分からなくなるとも言われていました。

先生には「中学時代のいじめは両親がそばにいてくれたことで、1日も休まず皆勤賞で卒業しましたが、大学時代は県外に行っていたことで、1人孤独で、頼れる人もいなかったことで、凄く辛かったです」

と話すと、

「それはあると思う。守ってくれる両親がいないと、そうなってしまうよね」

と、経験者だからこそ分かる悩みを共有しました。

Studio Humming Birdさんの先生とは、いじめや不登校の話など、他のハンドメイドの先生とはして来なかった密な話もして、この先生でしか感じられない感情や想いを抱きました。

実は後1つ私と共通点がありましたが、それを恐らく先生が公表していないので、ここでは書きません。

11個から6個パーツを選んで、ボンドで好きな寿司ネタを置いて行き、作っていく「寿司ペン(ミニチュアボールペン)」。

ここまで小さなパーツを、置いていくハンドメイドのワークショップは初めての経験で、土台にボンドで6個、土台からはみ出すとボールペンに入らず、調整しながら置くこと、左利きか右利きかで、置く向きが違うこと、四苦八苦しながら作りましたが、凄く楽しかったです。

いつもは、「何の仕事をしているんですか?」などから始まり、ハンドメイドにかける情熱の話だけで盛り上がりますが、今回の様な自分の悲しかった出来事を濃く話せる機会は本当に貴重であり、外は雷雨で酷い天気でしたが、「行って良かった」と思いました。

先生と色んな話をしたことで、今までとは違う盛り上がり方をした、新鮮で心が軽くなるワークショップでした。

帰宅後、先生から頂いたアンケートにスマホで回答しました。

先生、すっごく貴重な時間でしたし、楽しかったです。また、福岡でワークショップを開催して下さい。次回も、参加して作りたいです。

まだまだ先生と沢山お話ししたい。先生、楽しいイベントをありがとうございました。

「寿司ペン」に使う寿司ネタ

参考サイト

https://studiohumming.com/

https://studiohummingbird.shop-inframe.jp/

https://www.instagram.com/st.hummingbird?igsh=Z29xZDh5aDcwcmtr

https://x.com/StudioHumming

https://www.creema.jp/item/7629454/detail

https://minne.com/@boo-panda?srsltid=AfmBOopWkuArqFxNmZtDnXZwrirFTk1FZa0B4lYMBVx9nNDTMCwuEWrn

noteでも書いています。よければ読んでください。

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ABOUTこの記事をかいた人

左耳感音性難聴と特定不能の発達障害(ASD,ADHD,LD全ての要素あり)、糖尿病、甲状腺機能低下症、不眠症、脂漏性皮膚炎、右手人差し指に汗疱、軽く両膝の軟骨すり減り、軽度に近いすべり症、坐骨神経痛などを患っているライターです。映画やドラマなどのエンタメごと、そこそこに詳しいです。ただ、あくまで“障害”や“生きづらさ”がテーマなど、会社の趣旨に合いそうな作品の内容しか記事として書いていません。私のnoteを観て頂ければ分かると思いますが、ハンドメイドにも興味あり、時々作りに行きます。2022年10月24日から、AKARIの公式Twitterの更新担当をしています。2023年10月10日から、AKARIの公式Instagram(インスタ)も担当。noteを今2023年10月は、集中的に頑張って書いています。昔から文章書く事好きです、宜しくお願い致します。