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初めまして、地平線です。5月1日にメンバーになりました。よろしくお願い致します。
今回は最初の記事ということで自己紹介をさせて頂きたいと思います。自己紹介をする上で私は二つのキーワードを軸にお話することにしました。一つ目は「双極性障害」私の持つ障害の名前です。二つ目は「写真」私の人生において大きな意味を持った趣味です。
双極性障害とは
簡単に言うと気分が高揚する躁状態と沈むうつ状態を繰り返す障害です。詳細は以下のサイトを参考にしていただければと思います。
写真との出会い
私は小学校高学年の頃から周囲に馴染めなくなり始めました。そのままエスカレータ式で上がった中学校でも馴染めないまま高校へと進むことになります。
あえて周りの人が行かない高校を選んだものの、新しい人間関係を築くことができませんでした。それどころか人間関係は悪化し、いつの間にかいじめへとつながっていきます。そしてついに限界を迎え私は双極性障害を発症、通信制の高校に転校しました。
しかし、一つだけ良かったことがあります。それが写真部へ入部し、写真に出会うきっかけとなった事です。写真部の先生や先輩たちは優しく、写真に対しては厳しく私に様々な事を教えてくれました。そのことが私の大事な経験であることは間違いないでしょう。
「写真があるじゃない」
双極性障害を発症した私はしばらくの間半分寝たきりのような生活を送るようになります。そんなある日、どのような流れからかはもう覚えていませんが、祖母に「私には何もない」という内容の話をしました。それに対して祖母が言ったのが「写真があるじゃない」の一言です。それから私は再び写真に向き合い始めました。
写真と、文字と、芸術と
幸いなことに基礎的な技術は教わっていたので一人でも撮影することができました。ちょっとした賞も取ることもでき、その実績で芸術系の大学へと進みます。そこで文章を書く機会もあり、自身の可能性を感じたことがライターになる事を決めたきっかけの一つだと言えるでしょう。大学生活最後の方では文章と写真を組み合わせた作品制作もしていました。
写真を心の支えに私は辛い時期を乗り越える事が出来ました。私の場合、創作活動を通して私自身のことを客観視し続けた事が良い方に作用したのかもしれません。大学生活は友人にも恵まれ、双極性障害も安定し始めました。
現在は気分の波に苦しめられることはあるものの、発症当時よりも大幅に改善し、寝込むこともなくなりました。また、自身を客観視することで今の症状を大まかにではありますが把握することが出来るようになり、それを受け入れながら対応をとることが出来るようにもなっています。
これから
私は今、自分を知ることを大切にしています。
それはTANOSHIKAでの活動に関しても同じで何が出来て、何が出来ないのか、それを学びながらこれからの日々を送っていきたいと考えています。
そして、皆様のお役に立つ記事を書けるよう、無理のない範囲で頑張っていきますのでよろしくお願い致します。
また次の記事でお会いしましょう。地平線でした。
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