能登半島地震で聴覚障害者が支援受けられず孤立。見えてきた現実と課題とは?

災害 聴覚障害者

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こんにちは、翼祈(たすき)です。

この記事を書いている時、令和6年能登半島地震から4ヵ月が経過しました。

2024年4月6日から、石川県輪島市にある明治43年に創業された和菓子店「柚餅子総本家中浦屋」は、工場の屋根が崩れるなどあって休業していましたが、大きな被害を免れた店舗で営業を再開しました。再開初日から温かいお饅頭などを販売し、常連客などで賑わい、すぐにその日の予定販売数に達し、完売していました。

2024年4月8日、地震の被害を免れ、そのままの状態で残っていた巨大なイカのモニュメントがあることで知られている、石川県能登町にある観光施設「イカの駅つくモール」が、営業を再開しました。

2024年4月10日、石川県七尾市にある商店街で、江戸時代から8代に渡って200年近く輪島塗などを販売する「漆陶舗あらき」が、以前の店から100mほどの所に店舗を借りて、仮店舗で営業を再開しました。

2024年4月12日、石川県輪島市にあるショッピングセンターに入るスーパーマーケット「ワイプラザ」が、本格的に営業を再開しました。

石川県では2024年4月11日頃から、提供が停止されていた学校給食が再開された地域も多く、ぎんなん農家を営む男性も、出荷に向けて、日々取り組んでおられます。

能登半島では発災直後にタクシードライバーとして被災地で就職をした女性、赤字覚悟で2024年4月3日から営業を再開した「輪島タクシー」、一度内定を辞退したけど、やっぱり地元の能登で働きたいと地元の企業に入社を決めた方など、色々な人がそれぞれのスピードで、能登半島の生活再建に向けて動いています。

「少しずつ復興が進んでいるな」と思っていた時に、聴覚障害当事者の私が見過ごすことができない話を耳にしました。

能登半島地震では、石川県内にいる聴覚障害者の災害発生時での避難の在り方が課題として表面化しました。手話通訳士が滞在していない避難所での孤立を恐れて自宅などに留まると、周りの人の支援をするための目が行き届きづらくなるといいます。能登特有の手話ができる手話通訳士も数が足りていません。

聴覚障害者で石川県聴覚障害者協会の藤平淳一理事は、「聴覚障害者の需要をくみ取れる『聴覚障害者福祉避難所』が奥能登に必要不可欠です」と主張しています。

今回は能登半島地震で浮かび上がった、災害発生時の聴覚障害者の支援の在り方について、考えていきます。

能登半島地震が発生。聴覚障害者は何に困った?欲しい支援とは?

石川県聴覚障害者協会によりますと、2024年1月13日、石川県能登町で聴覚障害者の就労をサポートする福祉施設「やなぎだハウス」の通所者9人は、家族と一緒に金沢市にあるいしかわ総合スポーツセンターに避難しました。

それから、白山市松任総合運動公園体育館に集団避難をしました。日中は、白山市の聴覚障害者や難聴者を対象とした就労支援施設「あさがおハウス」に通所しています。

「やなぎだハウス」を利用していて、聴覚障害を抱えている弟と2人暮らしの穴水町の男性Aさんは七尾市内で被災しました。避難して数時間かけて帰った自宅は倒壊しかけており、応急危険度判定で「危険」を示した赤い紙が貼られたといいます。

いしかわ総合スポーツセンターに避難するまで、弟と2人で車庫や車内で自主避難していました。町会長が時々2人の様子を観に来ていましたが、仮設浴場や支援物資の情報は自分で検索して、生活を必死で繋いでいました。

男性Aさんのケースの様に、自主避難所や指定避難所に行かない聴覚障害者は少なくありません。石川県聴覚障害者協会の藤平理事は、「手話通訳士が滞在していない、周りに迷惑をかけてしまうかもしれないなどを考えて、地域の避難所に行くことを躊躇し、被災した自宅などで自主避難をしている事例は多くあります」と危惧しています。

参考:「能登特有の手話」も…被災地で孤立しがちな聴覚障害者、ニーズくみ取る福祉避難所の設置を 東京新聞(2024年)

奥能登に「聴覚障害者福祉避難所」を設置する前に、まず能登地方特有の手話に対応可能な手話通訳士の育成も求められています。能登には日本で主に使われている手話の中で、日本語とは別の文法を持つ「日本手話」をベースに独自に発展した手話があります。

石川県聴覚障害者協会の藤平理事によりますと、石川県聴覚障害者協会登録の石川県内にいる手話通訳士108人の中で、能登地方特有の手話に対応できるのは2人程度しかいないといいます。

「やなぎだハウス」生活支援員で聴覚障害者の男性Bさんは、「新人時代は奥能登の通所者の手話が理解できず、筆談をしたり、通所者同士で通訳して貰ったりしていました。理解できないことにもどかしさを感じていました」と、振り返りました。

石川県聴覚障害者協会の藤平理事は、「聴覚障害者が避難所の中で孤立するのは最も避けるべき事案です」と声を大にして言います。2007年から石川県聴覚障害者協会は奥能登ろうあ協会と連携して、石川県に聴覚障害者のサポートのスキルを持つ「やなぎだハウス」を、福祉避難所に認定する様に要望を出しています。

「『聴覚障害者福祉避難所』を設置することは急務ですが、行政の協力なしには実現するには困難な状況です」と官民で検討して頂く必要性を説いています。

実際に大変だと思います

私は聴覚障害者ですが、左耳だけ難聴で、会話ができるので、話し言葉が第一言語です。手話はもちろん知っていますが、第一言語ではないので、できません。

両耳とも聞こえない人にとっては手話が第一言語となります。

詳細は言えないのですが、先日手話通訳の人が近くにいて、聴覚障害者の方に、その場の会話を手話にしている光景を見ました。手話は、テレビの同時通訳でしか観たことありませんでしたが、本当に手話通訳の人がその時に聞いた話を、1秒もずれずに手話通訳をされていました。

その時に、「手話通訳の人を間近で観て、大変な仕事だけど、凄い仕事だったんだ」と体験しました。

聴覚障害と言っても、私の様に片耳は聞こえる片耳難聴の人、補聴器を着けている人、手話と口語を同時に使う人、完全に両耳とも難聴の人など、様々なカテゴリーに分かれます。

私の中で、手話にも方言があることに驚かされました。それと同時に能登半島の手話通訳士の人の少なさにも驚きました。

聴覚障害があると耳からの情報を知ることができません。そのためには支援してくれる人が必要。でも、手話通訳士が圧倒的に少ない。

以前から聴覚障害者の災害発生時での立場の弱さは知っていましたが、この記事を書いて改めてその立場が弱いことを知って、心が凄く苦しくなりました。

noteでも書いています。よければ読んでください。

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左耳感音性難聴と特定不能の発達障害(ASD,ADHD,LD全ての要素あり)、糖尿病、甲状腺機能低下症、不眠症、脂漏性皮膚炎などを患っているライターです。映画やドラマなどのエンタメごと、そこそこに詳しいです。ただ、あくまで“障害”や“生きづらさ”がテーマなど、会社の趣旨に合いそうな作品の内容しか記事として書いていません。私のnoteを観て頂ければ分かると思いますが、ハンドメイドにも興味あり、時々作りに行きます。2022年10月24日から、AKARIの公式Twitterの更新担当をしています。2023年10月10日から、AKARIの公式Instagram(インスタ)も担当。noteを今2023年10月は、集中的に頑張って書いています。昔から文章書く事好きです、宜しくお願い致します。