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どうも、ゆたです。
最近AKARIの方で記事を書かせて頂いていて、前職に比べて、デスクワークが増えました。
そうなると、ずっと座っているので腰や肩が凝ったりします。
なので対策として、軽くストレッチをしたり、座りっぱなしにならないよう定期的に立つようにしています。
そのおかげで、かなり痛みは改善されました。
ところで話は変わりますが、私は小学生の頃、授業中に座り続けることが困難な子どもでした。
もっと詳しく言うのであれば、興味がない授業では座ってられなくなってしまいます。
もしかしたら、今記事を読んでいるあなたもそうかも知れないし、クラスにいたよな、そういうやつ、と思っている方もいるかも知れません。
これはいわゆる、多動性障害の一種です。
ですが、私の多動は中学生の頃にはそこそこ良くなっていたので、興味のない授業中でも、座り続けることができていました。
そして、多動性障害と良く併用して現れるのが「注意欠陥」と「衝動性」です。
とにかく忘れ物が多く、先生から何度怒られても忘れ物をしたり、学校に来るのにランドセルを忘れるなど不注意が目に余るほど多い。
そして、大人になっても何度も失敗してしまう。そのような症状を注意欠陥と言います。
また、思いついたら後先考えず即行動に移してしまったり、周りが尻込みをしてしまう場面でも、突飛な行動をしてしまうような症状を衝動性と言います。
この3つの症状が色濃くでる発達障害を『ADHD』と言います。
『ADHD』は、その場その場での変化に対応することが、極端に苦手なので、様々なミスや不注意などの症状が他の人と比べて悪目立ちしてしまいます。そのため、職場や家庭での日常生活に支障をきたすおそれがあって、悩んでいる人も少なくありません。
私のように子どものうちに多少でも良くなれば、社会人になり、そこまで苦労はありませんが、大人になっても改善しない方もいらっしゃいます。
今回はそのような方々の苦労や実際に診断を受けた時について、記事にまとめようと思います。
(ADHDについて詳しく知りたい方はこちらまで。軽い診断テストもございますので、よければご利用ください)
診断を受ける時、口を揃えて「ほっとした」
「発達障害の診断を受けたとき、どんな気持ちになりましたか?」
そう問いかけると、「ほっとした」と答えた人がほとんどだといいます。
特にADHDの場合、診断されてがっかりする人は、100人に1人くらいで、多くの人は安心した様子で「やっぱりそうだったんだ」という反応をされるそうです。
それは、診断を受けるまでに沢山の違和感を覚え、苦労をしてきたことに要因があります。
ADHDの典型的な症状のひとつに、忘れ物の多さがあります。もちろん忘れ物が多い子はADHDに限らずいるものですが、それとはやはり、一線を画しています。
例えば学生であれば、教科書を忘れてしまう、なんてことは稀にありますよね?
私にもあります。
しかし、ADHDと診断される方の場合、その日に必要な教科書を丸ごと全部忘れてしまうとか、何ならランドセルや通学カバンごと忘れることもあります。そうなると、「つい、うっかりしていて……」と説明したところで、なかなか信じてもらえません。
先生という立場ならば、その子を叱ると思います。
そして、叱られた生徒は、恥ずかしいとか、鬱陶しいと思い、次からはミスしないよう入念にチェックをしたり、面倒な時は置き勉したりと対策を講じます。
ただ、ADHDの方は次の日も忘れます。
それも、何度も繰り返して忘れます。先生としては、ふざけているのか? と思ってしまい、過度に叱ってしまう場合もあるのです。
先生目線だと、毎日のように叱っているのに、なぜ、教科書を持ってこないのか、理解できないこともあるでしょう。
ですが、それは子ども自身も同じ心情なのです。
どうして、みんなが忘れ物をしないでいられるのか、なぜ自分だけが忘れ物をしてしまうのか、それを上手く理解できませんし、説明できません。なので、改善策も思いつきません。
そのため、忘れ物が多いADHDの子にとって学校は毎日怒られてしまう嫌な場所だと思ってしまいがちだと言います。
診断は伏線回収である。だから、ほっとする。
ADHDについて調べていると、興味深い例え話がありましたのでご紹介します。
それは、『ADHDと診断を受けるのは、伏線回収である』と言うものです。
皆さんは伏線、という言葉をご存知でしょうか?
漫画やアニメが好きな人にとっては聞き馴染みがある言葉だと思います。
伏線とは一般に、物語の前半に隠されているヒントを指します。
それは物語の後半になっていくと、霧がかかっていた視界が良好になっていくように謎が解けていき、今までの伏線が1本の線でつながって、物語の疑問に対する答えが提示される、というのが「伏線回収」です。
そして、その伏線回収を発達障害に当てはめた例えとして、「私の人生はなぜ、これほどに過酷なのだろうか」という疑問に対する答えが、「診断」によって明らかになる、と解釈します。
「あなたはADHDです」
その瞬間、今までの辛い出来事に、答え合わせができます。
「だから、あんなに怒られたのか」「だから、あんなに忘れ物ばかりしていたのか」「だから、座ってられないのか」など、振り返って納得がいくのです。
参考:発達障害と診断されると「ほっとする」 生きづらさには理由がある。
私はADHDではないですが、気持ちはわかります。
私は緊急で精神科に入院が決まりましたが、それに至るまでに、周りに合わせようとする度、胸が苦しくなり、涙が止まらなくなったりしました。
自分がなくなってしまうような喪失感に襲われ、トイレに籠ってしまうこともありました。
そんな時、「あれ? 俺っておかしいのか?」なんて、考えてしまうことがありました。
入院は緊急でしたが、診断を受けた時は、私自身、「あ、やっぱりか」と安心感を覚えました。
なので、診断を受けた時に「ほっとする」という気持ちに私は強く共感します。
今、学校や会社で生きづらさを感じている人がいれば、是非、一度、勇気を振り絞って、信頼できる誰かに相談してみてください。
周りに信頼できる人がいない時は、近くの精神科がある病院に電話してみるのもいいかも知れせん。
終わりに。
最後に私が言いたいのは、ADHDの方々は人一倍、頑張っているということです。
ADHDの人たちは、いつも頑張っています。
忘れ物をしやすいからこそ、忘れ物をしないように頑張っています。
じっとしていられないからこそ、ちゃんと座っていられるように頑張っています。
期限を守るのが難しいからこそ、課題をしっかり終わらせるように頑張っています。
そういう努力を必死でしながら毎日をすごしているのに、それでもうまくできなくて怒られる。その繰り返しの日々の中、周りに合わせて、気を張りながら生活しています。
しかし仮に上手くいったとしても、先生や上司は、それをほめられることはありません。
みんなそのぐらいできるよ、当たり前でしょう?
そう、軽く言われる程度でしょう。
ADHDの方々と上手く関係を保つためには、周りの大人や上司がその人のADHDに気づく必要があると思います。
ADHDの存在に気づき、ADHDの人の頑張りを見つける努力が必要なのです。
勿論、それは容易なことではありません。
ですが、少しでも社会に生きづらいと思う人が少なくなるよう、社会全体がADHDの症状を認めるような動きになってほしい、そう切に願っています。
今回はここまで、以上、お相手はゆたでした。
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