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こんにちは、金次郎です。
前回、元旦からの三が日に地震や旅客機の火災そして食堂街の火事と色々な災害が毎日起こった事を書きました。
散々な正月でしたが、能登半島の地震では未だに余震が起こっており、救助活動が思う様に進んでいません。
避難所に避難した人も、不自由な生活が続いています。
その様な、被災者の「心のケア」について書いてみたいと思います。
災害時の「心のケア」の歴史
災害時には、生命や財産の損害への対応とともに、心のケアも重要 です。
それは、被災者だけではなく救助にあたる援助者にも必要です。
1970年代に「災害神経症」と言う言葉が使われましたが、これは主に交通事故の被害者が心身
の障害を過大に訴える事を言いまして、心の問題に関しては脇役に過ぎませんでした。
その後、1995年(平成7年1月17日)の「阪神・淡路大震災」で、心の問題が注目される様になりました。
しかし、ストレス反応の極端な状態を言う「PTSD(心的外傷後ストレス障害)」と言う言葉だけが有名になってしまい、被災者の「心のケア」の問題は見逃されてしまいました。
これを教訓に、その後に発生した2011年(平成23年3月11日)の「東日本大震災」では、救援部隊とは別に、国立病院や日本赤十字社、東日本大震災心理支援センター(臨床心理士会)等から派遣された「こころのケアチーム」が、被災者の心のケアを行いました。
援助者の心構え
災害に見舞われた被災者は、心に大きな傷を受けており、一見すると異常とも思える下記の様な行動をとります。
・些細な事で、けんかになる
・ひきこもり
・食欲不振になるか、逆に過食になる
・飲酒量や喫煙本数の大幅な増加
・子どもがえり
救護に当たる隊員や防災ボランティアの人達は、この様な行動を「極端な出来事に遭遇した際に、起こる正常な行動」と理解して、被災者に対応しなければなりません。
被災した人の心の変化
上記の様な、災害被害者の異常行動は時間の経過と共に変化して行きます。
急性期(数十分、数時間、数日)
災害直後は、その衝撃に圧倒されており身体では心拍数や血圧の増加、過呼吸や発汗などの症状
が現れます。
思考や感情では、ものごとを合理的に考えられなくなり、集中力や記憶力が低下します。
反応期(1週間~6週間)
抑えていた感情が湧き出してくる時期です。
悪夢を見たり、イライラが高まり攻撃的になります。
これは無気力の克服につながる心の動きです。
修復期(1ヶ月~半年)
辛い出来事を思い出すと苦しくなりますが、少しづつ気持ちが収まり日常への関心や将来への
見通しに目を向ける様になります。
以上の事は、あくまでも目安でして、フラッシュバックで震災当時を思い出したりして突飛な行動を取る事があります。
被災時に、特に配慮を必要とする人
それは、子供と高齢者です。
子どもの場合
大きな災害を経験すると、年齢関係無く誰でも動揺しますが、特に子どもは災害の影響を受け
やすいです。
ただ、適切な支援が有れば十分回復する力は持っています。
子どものストレス反応を見極める
救援者は、その子の普段の様子を知りませんので、親やその子の知り合いからその子の特徴を聞
く必要が有ります。
そして、過ごし方を見て「歳相応の態度か?」や「他の子との関わり方に変化は無いか?」を見
ます。
典型的なストレス反応
・やたらと他人にまとわりつく
・一人になる事を嫌がる
・年齢より幼い行動を始める
対処方法
できるだけ子どもの要求に応じる
普段より甘える事を許します。
子どもは甘えながら、辛い体験を克服しようとします。
会話に応じる
子どもが話しかけて来たら、話を聞いてあげましょう。
災害とは無関係な話しでも、話しをする事によって、その子の今の気持ちや関心事などが分か
ります。
高齢者の場合
突然の災害で、これまで築いてきたものを一瞬で無くしてしまったショックから、傷ついてし
まいます。
また一人暮らしをしている高齢者は、孤立しがちです。
ただ、それまでの人生経験からたくさんの知恵や知識を思っていますので、そうした能力を発
揮して復旧に貢献してもらうのも、高齢者にとっては「心のケア」になります。
典型的なストレス反応
・体力的な弱さから、怪我や病気になりやすい
・過去への思いにふける時間が増える
・睡眠や食事など基本的な欲求の低下
対処方法
一人にしない
利用できる支援サービスが確実に届く様にします。
また、他人との交流は安心感や情報交換の場所になります。
何処に居たいか?誰と居たいか?を尋ねてみましょう。
自分は役に立っていると思わせる機会を作る
高齢者の方は、過去にも同じ様な災害に遭っているかも知れません。
長く生きている事から得た、経験や色々な知識を伺って、間接的でも良いので復旧に貢献して
もらい「自分は、皆の役にたっている」と感じてもらいましょう。
終わりに
ここ福岡県でも、2005年(平成17年)3月20日10時53分に博多湾沖合の玄界灘で発生した震度6弱の「福岡西方沖地震」が有りました。
丁度、「春分の日」の祝日で、福岡市内の繁華街は多くの人でにぎわっていました。
幸い怪我をした人だけで死者は出ませんでしたが、震源に近い博多湾の島々では家が倒壊するなどの被害がでました。
「福岡県には大きな地震は来ない」と言われていただけに大変驚いた記憶があります。
ただ、福岡市内には「警固(けご)断層」と言う断層が有りますし、地震大国日本に住む限りどこに住んでいても、注意は必要だと思います。
今回の「能登半島地震」は、2週間経った今でも余震が続いており、行方不明者の捜索にも支障をきたしていますし、避難所に避難した人達がいつ動き出せるのかも分からない状態です。
でも、生存限界と言われる72時間を越えて、124時間ぶりに救助された90代の女性もいますので、私達は見守るしか無いですが、救援部隊の方々は無理せず頑張ってもらいたいです。
参考:(東京都福祉保健局)災害時の「こころのケア」の手引き(pdf形式 20ページ)
参考:(日本赤十字社)災害時の心のケア(pdf形式 44ページ)
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