脳性まひをハンデにしない!バイオリ二ストの式町水晶さんが誕生するまでの道のり。 

式町水晶 バイオリニスト

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こんにちは、翼祈(たすき)です。

脳性まひを抱えながらも、バイオリンを奏でる、バイオリ二ストの式町水晶さんをご存じですか?

式町さんは福島県で津波の被害に遭った、「津波バイオリン」を手に、全国各地を回られています。

式町さんがバイオリニストを目指されたのは、お母様との強い関係性にありました。

今回は式町水晶さんがバイオリニストとして歩み出した経緯についてご紹介致します。

脳性まひを抱えながらも活躍する、式町水晶さん

画像引用・参考:脳性まひのバイオリニスト 式町水晶さん 車いすを押す母のやさしさ、今も体が覚えている 東京すくすく(2018年)

東京パラリンピックの閉会式に出演した、神奈川県小田原市在住の脳性まひのバイオリニスト・式町水晶(みずき)さんが2021年10月27日、小田原市内にある前羽小学校で「夢を持ちながら生きる」をメーンテーマに講演を開きました。「選手らの笑顔がキラキラしていました」という閉会式の思い出を振り返り、式町さん自身や友人、仲間の大切さを呼びかけました。小学5、6年生の計43人が傾聴しました。

式町さんは未熟児で生まれ、脳性まひと診断を受けました。立つことはできても歩くことができず、小中学校は車椅子で通学しました。目にも障害を抱えています。

母はヘアメイクの仕事をしていましたが、式町さんを学校への送迎をするために、勤務を調整しやすいホームヘルパーに転職しました。バイオリンはリハビリに良いと思い、母の薦めで4歳から始めました。母は「息子をプロにしたいなんて考えていませんでした。社会に出た時に、1人でも生きていければいいとだけ思っていました」と述べました。

10歳の時、バイオリニストの中西俊博先生のコンサートに訪れ、感激し、「あなたは僕の憧れです」と手紙を綴り、弟子入りを志願し、中西先生は快諾してくれました。

小学校は最初は特別支援学級に入学し、盲学校に通学した時期もありました。5年生の時、「よく話し、コミュニケーションもスムーズにできる。勉強への意欲も高い」などと周りから推薦され、普通学級へと移りました。

ですが、普通学級はとても大変な生活で、馴染めませんでした。小学校の特別支援学級の先生が児童数と同数の12人だったことや、体力差から通常学級の同級生が全員ウルトラマンに思えたこと、「今も悪夢に見る」といういじめにも遭いました。中学に上がっても高圧的な担当職員と相性が悪く、精神的に徐々に追い込まれていきました。

「どうして僕をこんな身体に産んだんだ!」「私だって再婚せずにあなたを育てたのよ」。感情がとめどなく溢れて母を傷付け、母子で泣き疲れた日もありました。東日本大震災はそんな14歳の時に発生しました。

そんな時、医師から「失明するかも」と言われて、叩きのめされました。いつもなら優しく支えてくれる母もショックを受け、今でも「あの時はごめんなさい。ぎゅっと抱きしめてあげられなくて」と当時、母はずっと僕のために走り続けていたのに、と詫びます。

母の代わりに励ましてくれたのは恩師の中西先生でした。そうだ、僕にはバイオリンがあるんだと、もっと熱中しました。

その後「何かアクションしたい」と震災から3ヵ月後に現地で慰問演奏し、幼い男の子から「お兄ちゃん、身体、大丈夫?」と心配されました。「家族や家を失っても障害者の僕を気遣える被災者と比較して、僕には家族がいる。どうしてそんな小さな出来事を悩んできたのか」と恥ずかしかったといいます。

閉会式で演奏した曲を含む5曲を東日本大震災で被災した木で製作された「津波バイオリン」などで演奏しました。バイオリンの弦を心に置き換え、「弦を張りすぎるとパチッと切れます。弦は交換できても心までは交換できないので。夢を叶える努力は大事なことですが、絶対に1人で頑張り過ぎないで欲しい。僕との約束だよ。友人との遊びも大切にして下さい」と語りました。

閉会式に関しては「選手たちは頂点を目指していましたが、競技を終えた後お互いに尊敬し合う笑顔がキラキラしていました。笑顔を絶やさないサポートスタッフの様子にも背中を押されました」と説明しました。

中学を卒業した後、医師の反対を押し切り、車椅子生活をやめました。高校を卒業した後に始めたボクシングで筋肉が付いたことで、コンサート中も飛び回れる身体が出来上がっていました。

参考:<かながわ未来人>「津波バイオリン」を操る 脳性まひの奏者・式町水晶(しきまち・みずき)さん(23) 東京新聞(2020年)

2018年春に、式町さんはアルバム[孤独の戦士]でメジャーデビューを果たしました。同2018年夏に奇跡の一本松の前で、セカンドアルバム[希望への道]を楽譜に書き起こしました。心が荒れていた時、恩師の中西先生に「音色が今、寂しいね」と伝えられました。「障害があったからこそ良いことも多くありました」と現在の心境を話しました。「津波バイオリンが奏でる音色は、不思議に繊細で温かい気持ちになれました」と説明します。

2018年4月、デビューアルバムの発売記念コンサートを東京都内のホールで開催しました。約700の観客から盛大な拍手が沸き起こり、達成感が胸に込み上げました。この舞台に立てたのは多くの支援、特に母のサポートがあったからです。公演終了後、母に「最高のお母さんです」と感謝を伝えると、母はただ「ありがとう」と笑顔で返しました。

希望の光。

以前の別の脳性まひの記事では、最新の研究をご紹介させて頂きました。その記事を書いている時に、式町さんのことを知りました。今回は脳性まひがあっても、ご活躍されている、式町さんについてご紹介させて頂きました。

式町さんも脳性まひのリハビリからバイオリンを始め、バイオリストとして成功されている、素直に同じ障害者として凄いなと感じます。きっとハンデなんて感じさせない素敵な音色なんでしょうね。

これからも製作された4本の「津波バイオリン」の内の1本を貸与された式町さんの音色が人々を魅了することでしょう。今後もハンデを感じさせない演奏を届けて欲しいなと思います。

参考サイト

https://x.com/BOY76963403?s=20

https://www.instagram.com/crystalboymikkun10/

https://m.youtube.com/channel/UC67RiwVU4d9dEQSOSoa_NgQ?feature=gws_kp_artist&feature=gws_kp_artist

noteでも書いています。よければ読んでください。

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2 件のコメント

  • 記事を読ませていただきました。障害を乗り越えて、バイオリストになるまでにはたくさんの苦労があったのではないでしょうか?病気をもっている人々に夢を与えることができ
    、無理と諦めた人にも一筋の光を灯してほっこりしました。これからも楽しみにしています。

    • ハリネズミ様。
      コメントありがとうございます。

      そうですね、障害とかは人それぞれでどれだけ辛いかとか分かりたくもなかなか難しかったりしますが、それでも同じ障害をお持ちの方からすれば、それはさらに強い希望の光だと思います、

      本当に式町さんには頑張って頂きたいですね。式町さんのお顔が分かりにくかったのと、公式サイトなどリンクを貼っていなかったので、遅ればせながら写真変更や追記しました。

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    ABOUTこの記事をかいた人

    左耳感音性難聴と特定不能の発達障害(ASD,ADHD,LD全ての要素あり)、糖尿病、甲状腺機能低下症、不眠症、脂漏性皮膚炎などを患っているライターです。映画やドラマなどのエンタメごと、そこそこに詳しいです。ただ、あくまで“障害”や“生きづらさ”がテーマなど、会社の趣旨に合いそうな作品の内容しか記事として書いていません。私のnoteを観て頂ければ分かると思いますが、ハンドメイドにも興味あり、時々作りに行きます。2022年10月24日から、AKARIの公式Twitterの更新担当をしています。2023年10月10日から、AKARIの公式Instagram(インスタ)も2交代制で担当。noteを今2023年10月は、集中的に頑張って書いています。昔から文章書く事好きです、宜しくお願い致します。