障がいを持った子供を、3人も育てた母の苦悩

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こんにちは、金次郎です。

 あなたは、生まれて来た赤ちゃんが障がいを持っていたらどうしますか?
 これから書く方は、3人の子供を産みますが、3人とも障がいを持って生まれて来ました。
 その苦労と悲しみに耐え、障がいを持った子供を育てた経験を活かして、現在は障がい児の為の「放課後等デイサービス」を運営している方をご紹介します

生まれて来た子供たちが、全員障がい児

 紺野昌代さんは、看護師として働き始めた翌年に、長男の聖矢(せいや)くんを出産します。
 妊娠中は何の異常も無かったのですが、生まれた後に聖矢くんに重い障がいがある事がわかりました。

 聖矢くんの障がいは「先天性の代謝異常症」でして、ミルクも自分で飲み込む事が出来ず鼻から管を通していましたが、ミルクが逆流して吐いてしまいます。
 なので、体重も増えないし、昼夜問わず泣き通しで、ほとんど抱っこで過ごしていたそうです。
 聖矢くんの出産を機に、職場も通院している「こども病院」の看護師として勤務することにしました。

 紺野さんは、聖矢くん4歳の時に、長女の蘭愛(れな)さん、その2年後に二男の愛聖(まなと)くんを出産します。
 この2人も妊娠中には異常は無かったのですが、出産後に聖矢くんと同じ病気である事が発覚します。

 紺野さんは当時、育児体験をブログに書いていました。
 同じ様な障がい児を育てている親御さん達との交流の場になっていましたが、中には「3人も障がい児を産むなんて」とか「普通は3人目は産まないだろう」と言う様な辛辣な書き込みをする人もいたそうです 

重症心身障害児(者)とは

 重度の身体不自由重度の知的障害と、2つの障がいを持っている状態を「重症心身障害」と言い、その状態にある子共を「重症心身障害児」といいます。
 そして、成人した重症心身障害児を「重症心身障害者」と呼びます。
 この言い方は、医学的な診断名称では無く、行政上に置いて児童福祉の措置を行うための言い方です。
 国は、障がいの判定基準を明確に示していませんので、今は「大島の分類」という方法により判定しています。
 現在日本には、この重症心身障害児(者)の数が43,000人いると推定されています。

・障害の状態

姿勢 ほとんど寝たきりで、自力では起き上がれない子が多い
移動 自力では困難、寝返りも困難、座位での移動、車椅子など
排泄 全介助(自分で便意を知らせられない(70%)&後始末も不可(76%))
食事 自力で食べられない(スプーンで介助)、誤飲(食物が気管に入ってしまう)を起こし易い
食形態 きざみ食、流動食
変形 手や足が変形もしくは拘縮(こうしゅく「動かない」)、側彎(そくわん「ねじれ」)や胸郭(きょうかく「胸の部分」)の変形
筋緊張 激しく筋肉が緊張し、自分の思った様に手足を動かせない
コミュニケーション 言葉による意思伝達は困難だが、弱いながら笑顔で応えられる
健康 肺炎・気管支炎を起こし易く、痰の吸引が必須、また70%以上の人がてんかん発作を持つ

参考:(社会福祉法人)全国重症心身障害児(者)を守る会
 

これらの経験を活かして、放課後等デイサービスを作る

 2014年2月、長男の聖矢くんが13歳で亡くなりました。
 紺野さんは、「長女と次男の残された時間」を考える様になったそうです。
 そんな矢先に、旦那さんの不義理な行為が発覚して離婚話にまで発展してしまいます。
 旦那さんの実家で暮らしていましたが、離婚したら住む場所が無い。
 絶望の淵に立たされた紺野さんは「2人の子供と心中しよう」とまで考え家を出たそうです。
 しかし「お出かけ楽しい」みたいな、長女の愛聖さんの笑顔を見て、思いとどまったそうです。

 これをきっかけに、以前から考えていた「重症児を預かる施設を作ろう」と言う夢の実現に向けて動き始めます。
 それからは、仕事の合間や睡眠時間を削ってまで「放課後等デイサービス」設立の為の本を、次々と読みます。
 更に、同じ様に重症児を育てているママ友さんの紹介で知り合った、全国重症児者デイサービス・ネットワーク前代表の鈴木由夫さんにアドバイスを依頼して、2016年12月1日に多機能型重症児デイサービス kokoro」を立ち上げます

参考:(一般社団法人weighty)多機能型重症児デイサービス「kokoro」

「放課後等デイサービス」とは?

 「放課後等デイサービス」とは、支援を必要とする障がいのある子や発達に特製のある「6歳から18歳までの就学児童(小学生、中学生、高校生)が通うことが可能」な福祉サービスです。
 元々は、未就学児と就学児が共に通うサービスでしたが、2012年の児童福祉法改正により

 ・未就学児のための「児童発達支援」
 ・就学児のための「放課後等デイサービス」

と2つに分かれました。

 児童発達管理責任者による個別支援計画により、それぞれの子が持つ障がいの程度と特性に合わせて以下の様な活動をしています。
 1・自立支援と日常生活の充実のための活動
 2・創作活動
 3・地域との交流機会の提供
 4・余暇の提供

参考:(夢門塾)放課後等デイサービスってな~に?

終わりに 

 「放課後等デイサービス」は、2012年に制度がスタートした時の利用者は5万1678人でしたが、10年後の2022年には30万6490人にまで増えています。
 障がいを持つ子供を抱える、多くの親が待ち望んでいた福祉サービスです。

 更に、民間企業が参入した事で「放課後等デイサービス」の数が劇的に増え、障がいのある子共たちの放課後の居場所が増えました。
 それ故に、療育内容や支援プログラムに差があったり、単なるお預かりになっている放課後等デイサービスも存在する事が問題になって来ています。

 現在は、厚生労働省が「放課後等デイサービスのガイドライン」を出すなどして、質の向上に向けた取り組みが進められています。

 私の家の最寄駅にも、今月「放課後等デイサービス」が出来ましたから、今後も増えて行くでしょう。
 ただ、上にも書いた様にサービスの質が低下しない様にガイドラインを守って運営してもらいたいです。

参考:(厚生労働省)放課後等デイサービスガイドライン(PDF形式 42ページ)

参考:(ベネッセコーポレーション)「3人も障害児を産むなんて」と心ない言葉も。3人全員が重症心身障害児の母が絶望から立ち上がり、夢を形にすべく動き出すまで  

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2 件のコメント

  •  私の知る限りでは、戦前に親が障がいのある子どもの施設運営に関わった有名な例としては、滝乃川学園への石井筆子氏ですが、設立時は運営に関与していませんでした。戦後の例では、しいのみ学園へのしょうち三郎氏他多数あり、知的障がいの分野では、手をつなぐ育成会として全国的な親の組織が結成されています。重症心身障がいの分野で映画になった施設では、『朋の時間』の訪問の家・朋、『普通に生きる』と『普通に死ぬ』のでら~とがあります。医師や篤志家が始めた事業が多いですが、親の愛情を手厚くした時期を経て、社会的介護体制を普及していく流れが定着していくことが期待されます。

  • 堀田哲一郎 様
    障がい児の施設について、情報ありがとうございます。
    私は、障がい者手帳を交付されて未だ7年と言う障がい者の世界では若輩者です。
    これからもAKARIを、よろしくお願いいたします。

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