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タブー(禁忌)とは月経という意味だった
タブー(禁忌)という言葉は、ポリネシア語で月経を意味する「タブ(tabuまたはtapu)」を源にした言葉でした。
はるか昔、医学が発達していなかった時代、有効的な避妊の方法もないので、多産を強いられていた女性たちは、経血を目にする機会も限られていました。
人々は経験的に血液が病気を媒介することを知っていました。しかも、他の出血とは形状が異なる経血に死を連想をし、恐怖心を煽られて、「穢れ」と見なされるようになったのではないかと言われています。
つい最近まで世界各地で月経禁忌にともなう慣習が存在していました。
中南米のコスタリカでは、月経中の女性は極めて危険な存在とされており、その女性と同じ食器を使った人は確実に死ぬと信じられていました。
日本でも、不浄なものとされていた月経。月経中は軒下や玄関先で食事をさせられていることもありました。そこを小学校から帰る子供達が通っていく。その子供達には経血を不浄とみなす言説が自然と浸透しており、特に男児は、指を指したり、蔑んだ言葉を投げて通っていくのです。
月経があるから妊娠・出産が成立し、子どもが生まれるわけなのですが、子どもたちからも蔑まれるという理不尽極まりない状況がありました。
女性は医師になれなかった。
女性は生理があるから、男性より劣っていると思われていました。
女性は、毎月、数日間生理という「穢れの日」があり、今でいうところのPMS(月経前症候群)や、PMDD(月経前不快気分障害)を改善する薬もなく、「穢れの日」が終わるまで小屋に閉じ込められていたのでした。
このように女性には毎月「穢れ」の周期があるため、適切な判断を下させることができないと思われ、医師になることは許されていなかったのです。
生理用ナプキンがなかった日々
1900年生まれの女性の証言
月経については、母親、教師からも聞いたことがなく、友だちと話題にしたこともなかったそうです。しかし、他人の粗相をしているところを見たことがあるので知ってはいたそうです。
16歳で初潮を迎えたとき、チリ紙をあてていました。母親に何度も便所に通うのを見て、気が付かれ、すぐに布を出してきて丁字帯を縫ってくれたそうです。チリ紙ではすぐに破れてしまうので丈夫な和紙を手で揉んで柔らかくしてからあてていました。
後に、脱脂綿を買ってきて手製のタンポンを作って使用していたそうです。
このように、1960年代に生理用ナプキンが普及するまで、脱脂綿を使って防漏性のある黒いショーツを穿いていました。しかし、この方法では脱脂綿がずれたり、転がり落ちたり、服を汚してしまうことも珍しくなく、また、ショーツが蒸れるため、かゆみやただれといった皮膚トラブルも起きやすかったのです。
アメリカ製の「コーテックス」という生理用品を購入して使用している女性もわずかにいました。これは、「パッド」(紙綿)を「テックス」(ガーゼ)で包んだものを、腰に巻いたベルトにつるすタイプのものでした。「テックス」と「パッド」が使い捨てになっていて、脱脂綿よりも快適だったようですが、日本人女性の身体のサイズに合っていないことや、値段が高いことが難点で普及するまでに至りませんでした。
この「コーテックス」を使用していたのが、後に「アンネナプキン」の産みの親となる坂井泰子さんでした。
坂井さんは大学生の頃、バスの中で血で汚れた脱脂綿が落ちているのを見ました。それを靴でおさえて乗客から隠そうと思いましたが、そこまでの勇気がなく、バスが坂道を上り出すと、脱脂綿はころころと車内を転がり始め、頭にカッと血が上るような恥ずかしさとみじめな気持ちになったそうです。
アンネナプキンの登場
「アンネの日記」の中に月経について『甘美な秘密』という肯定的な記述があり、そこから社長である坂井さんがアンネという社名で会社を立ち上げました。
「40年間お待たせしました」のキャッチコピーで発売されたアンネナプキン。
アメリカのコーテックスから、遅れること40年の意味を込めて発表されました。
後に厚生省から、まるで、40年間ずっとナプキンの研究を行ってきた様な誤解を与えるとして、改めるようにとの指導が入り、新たなキャッチコピーとして、「〈アンネの日〉ときめました!」を採用しました。
現在では、「アンネ」という言葉は使われていませんが、「アンネ」と口に出して言えるようになったからこそ、「生理」と自然に口に出していえる時代になったのです。
◇◇◇
1961年10月1日に「アンネナプキン」は発売予定でした。しかし、生産ラインの不調で商品が間に合わず、結局、東京・銀座での発売をは見送られ、大阪の一部デパートで販売することになりました。それは、11月11日のことでした。
大阪の各デパートから、「アンネナプキン」売り切れましたという報告が坂井さんの耳にも届きました。
その後、東京でも発売が決定され、爆発的に売れ続けたのでした。
革新的なキャッチコピーから、「生理」が「不浄なもの」から、女性たち共通に話し合えるほどにオープンなものへと変わった瞬間でした。
2019年は生理元年?!
2019年以降、生理の捉え方を見直そうという動きが進んでいます。その一つに2019年6月に日用品大手ユニ・チャーム(東京都港区)が始めた企画「#NoBagForMe(私は袋はいりません)」が始まりました。
購入した生理用品を中身が見えない袋に入れるコンビニなどのレジのサービスに「いりません」と言える選択肢を増やす試みです。生理用品だと分かりにくいおしゃれなデザインの限定パッケージを開発したところ、約1週間で完売しました。
そして、11月には、二階堂ふみさん主演の映画「生理ちゃん」が公開され話題に。大丸梅田店では生理用品を取り扱う売り場「michi kake(ミチカケ)」がオープンし、再び、生理を取り巻く社会情勢が大きく変化していこうとしています。
女性たちが、商品を手に取り、販売員さんたちと生理や生理用品ついて、和やかに語られる様子はかつて、初めてアンネナプキンを手に取り、買い求めた風景と重なる部分があったのではないでしょうか。
女性たちが日常生活において生理について語ったり、質問する機会が少ないのは現在でも変わりません。
日頃から、気楽に足を運び、生理はもとより、性についての専門的な情報を得る場所の必要性を感じます。
終わりに
私たちが、現在、当たり前のようにどこにでも簡単に手に入るようになった生理用品。そこに至るにはタブーと戦い続けた先人たちの努力があったからです。
これからも、生理がある女性たちがより生きやすくなる社会を目指し、生理用品が発展していくことを心から望みます。
参考文献
参考サイト
生理はいつからタブー視されていたの?「生理の近代史」をレクチャー ―ミチカケ オンライントークイベント「michi kake at online」レポートvol.2
noteでも書いています。よかったら、読んでみてください。
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