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こんにちは、改めましてM. Jです。
12回目の投稿になります。今回は、教育におけるバリアフリーについて記事を書いていこうと思います。
書いた後の反響が大きい感じもあり、自分自身ものすごく考えて、かなり迷って記事にしたテーマです。
最も身近な「社会問題」として読んでいただけたらと思います。
教育におけるバリアフリー〜社会進出の視点から〜
皆さんは、どんな学校を卒業しましたか?友人に障がいのある方はいますか?。
学校には、一般的な普通の小中学校や高校、視覚特別支援学校(盲学校)、聴覚支援特別支援学校(ろう学校)などがあります。
現状は、障がいによって学校教育が分けられている現状です。
いわゆる健常者と障がい者の交流や一緒に教育を受ける機会はほとんどありません。
これによって、障がい者に対しての理解が進まないことが考えられます。
健常な人が、障がい者と交流したり、一緒に活動することは社会人になってからになってしまうことが多いです。
社会人になってから障がい者とともに仕事をすると、障がいに対しての知識や理解が不十分なので、一緒にチームワークをとって仕事をすることが難しくなります。
これでは、多様性のある「生き生きとした社会」にはならず、日本は「福祉国家」にはならないのではないでしょうか。
教育のところから障害者に対する理解を積極的に行い、バリアフリー社会の実現をしていくことがものすごく重要なのではないでしょうか。
今回は、障がい別の学校教育の現状などを整理して、今後の学校教育のあるべき姿について考えていきたいと思います。
視覚障がい者の学校教育
通常の学校と同様の教育内容は行われるが、視覚障がいに配慮した教育がなされています。
各教科の授業は、障がいに配慮された授業がなされています。
また、鍼灸、マッサージなどの資格を取得するための授業があります。
卒業後に自立するために、点字の指導、白杖の指導などの生活訓練があります。
参考:高知県立盲学校
上記のような教育の方法であれば、可能な範囲で健常者とともに教育を受けることは可能だと思われます。
実際に、視覚障がい者と健常者がともに仕事をすることは多いので、お互いの理解は必要だと考えられます。
鍼灸・マッサージ師として施設や介護事業所、大企業などで勤務することがあるので、健常者とお互いのコミュニケーションは必要不可欠です。
チームワークを必要とする仕事が多いので、学生の頃からお互いを理解することが必要です。
健常者との交流は将来のチームワーク構築の為にものすごく重要です。
聴覚障がい者の学校教育
通常の学校と同様の教育内容は行われるが、聴覚障がいに配慮した教育がなされています。
各教科の授業は、障がいに配慮された授業がなされています。
手話を中心としたコミュニケーションでの授業が行われています。
近年、ろう学校の名称が消えて、特別支援学校となりました。
補聴器や聴能訓練機器などの開発や使用によって、教育環境は充実するようになりました。
参考:wablio辞書
聴覚障がい者の場合は、従事できる仕事の範囲が狭い傾向にあります。
私の知っているところでは、自営業者、学校の講師などの職種に従事されています。
コミュニケーションが難しいこともあり、職種が限られているようです。
本人たちも「自分は社会や地域に馴染めていけない」という強い思いがあるので、社会進出が思うようにいっていないようです。
上記のような硬い思考にならないようにするためにも、学生の頃から健常者との交流を促す必要性がありそうです。
身体障害の学校教育
肢体不自由者の教育については、ハード面の整備といった「合理的な配慮」がなされた教育がされています。その中で、通常の教育もなされています。
障がいの程度もさまざまですので、一概にこれをすれば良いという方法はありません。
障がいの状態に配慮した「オリジナルの方法」がとられています。
また、障がいの状態によっては、医療的なフォローが必要なことがあります。
参考:徳島県立ひのみね支援学校
肢体不自由の場合、ハード面の整備(段差のない学校づくり、医療従事者のフォロー など)が必要となります。
障がい者の社会進出を阻んでいることもあり、社会に出てから「身体障がい者」と出会うことも多いです。
障がい者への受け入れが積極的な大企業に勤務されています。
障がい者本人は積極的に仕事を希望していても、ハード面の整備など周囲の理解が不足していることがあります。
実際には仕事をしている身体障がい者は、少ないように思われます。
(ここでは、主に車椅子利用者など重度障がい者のことを指しています。)
健常者の学校教育
通常の学校の教育は、20人〜40人の学級になっていることが多いです。
一律的な方法での学習になります。
基本的には、いわゆる普通といわれる学生が多いです。
普通といわれる学生が多いので、お互いの理解は容易に進むものと考えられます。
集団活動による、一体感は増しやすいと考えられます。
一方、一律的ですので、そのレールから外れてしまうと「授業についていけない」「友達との人間関係が取れない」などといった、悪影響が出てきます。
現場の先生も配慮などを考えることがないので、多様性のある対応ができないことが多いです。
上記のような教育の方法では、障がい者に対する理解をすることなく、社会の活性化は難しいと考えられます。
障がい者を受け入れられる学校にする為には、1人1人に合った適切な方法が必要なのです。
通常の学校の教育のシステムを「改革」していくことがものすごく重要です。
学校教育のあるべき姿
ハッキリ言って現状の教育は、健常者と障がい者が互いに生活していく為のシステムにはなっていません。それぞれの教育については、日本国憲法で教育の方法は保障されています。
しかし、健常者と障がい者の壁は思ったよりも厚く、一緒に交流したり、活動したりすることは少ないです。お互いの交流を進めていくことが、お互いの理解につながっていくのではないでしょうか。
その為には、現状の教育のシステムを「改革」していくことが必要不可欠です。
学校の先生や健常者の意識を大きく「変えていくこと」が必要不可欠なのです。
社会(職場)のあるべき姿
日本の社会が今より活性化して、福祉国家になる為には、障がい者の受け入れがものすごく重要です。
障がい者への差別を少なくするためには、健常な人が障害者に寄り添って「交流」「一緒に活動すること」が必要です。
合理的な配慮が必要なことなど、課題はありますが「今の現状を打破する」意識をもって、教育に対しての「改革」をしていくことがものすごく重要です。
障がい者と健常者との交流を促していくことができ、お互いに理解が深まり、さまざまな価値観を容認できることで、素敵な社会になります。
これが、本来の「バリアフリー」であり、「ユニバーサルデザイン」のある社会ではないでしょうか。
「理想の教育」や「理想の社会構造」については、改めて別の記事で紹介します。
今後について
興味があることや、今後書いていきたい記事のテーマとして、理想の教育について、理想の社会構造について、ハラスメント(パート1・2)についてがあります。
皆さんに役立つ情報を届けていければと考えています。
今後ともよろしくお願いします!
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関係性を変えることによって、社会的障がいを実質的に減らしていくという考え方ですね。
堀田啓一郎様 記事をご覧いただきまして、どうもありがとうございます。おおむね、そのような感じです。
今回の記事と次回の「理想の教育について」をご覧いただくとわかりやすくなると思います。
障がい者が社会参加をしやすくする為には、教育のシステムを変えることが大切です。
「健常者の考え方を変えること」「健常者が本当の意味で障がい者を理解すること」が私の基本的な考え方です。
どうもありがとうございました!