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母の話
私の母は認知症である。そんな母が元気だった頃の話。
私が中学生の頃、弁当を忘れたので母に電話で連絡し、こっそりと持ってきてもらうことにした。
母は裏門で待っていた。私は「今行くから待っていて」と言った。
しかし、母は先生に見つかったらまずいと思ったらしく投げてよこそうとした。
「いやいや、そんなに慌てなくても大丈夫だから」と私が言ったのに弁当を投げてよこした。弁当は放物線を描いて地面に落下した。
それを一緒に来てくれていた友達に見られて笑われた。
案の定、弁当箱の中身はぐっちゃぐっちゃであった。それを半分キレながら食べた記憶がある。
天然でおっちょこちょいな母。母に何かをやってもらうよりも、自分でやった方がややこしくならないと学習した私は、自分でなんでもやるようになった。
認知症になったらどうする?
ある日、母が「お母さんが認知症になったらどうする?」と聞くので、私は
「お母さんは、もともとアンポンタンチンやけん、ボケたちゃ、大丈夫!」
などと、失礼なことを平気で言っていた悪い娘であった。
もちろん、認知症とはそんな甘いものではない。
認知症と診断された当初、母も不安だったのだろう。私にやたらと「お前は、私を馬鹿にしている」と言ってきた。
私は心配性のため、サランラップをまだたくさんあるのに買ってきてしまい、無数のサランラップが台所にストックしてあったときがあった。それを見て母が、「まだあるのに買ってきて、お前も認知症だ!」と言ってきた。
その後も「お前は私を馬鹿にしている」「お前は私を馬鹿にしている」と何度もしつこく言ってきた。
「お前が、お前が」とうるさいので、私が、
「私には、お母さんたちがつけた名前がちゃんとある『どんはれちゃん』って呼んで」と言った。
そうしたら、それはわかったと頷いた。
私は心の中で「それはわかるんかい!」とツッコミを入れた。
今では、母は私のことを『どんはれさん』とさん付けで呼んでくる。
母は実の母、私には祖母にあたる人を、8歳の時に亡くしている。母は幼少期甘えられる人がおらず、寂しい日々を過ごしていたと聞く。
だから、今それを取り返しているのかもしれない。親戚によれば私はその祖母になんとなく似ているらしい。
なんだかんだと子どものように文句を言う母に「老人性反抗期!」と言い返す私であった。
母娘、逆転
アニメ「ふしぎなメルモ」の最終回のようだなと思う。
メルモちゃんはお母さんになり、赤ちゃんがメルモちゃんが残していた魔法のキャンディを誤って食べてしまう。
すると、赤ちゃんがたちまち成長し、メルモちゃんのお母さんになって、メルモちゃんと再会するのだ。
日本全国、いや世界各国でこのような母娘の逆転現象が起きているのかもしれない。
大きな選択
今、母は体調を崩して入院している。
母の回復ぐあいによるが、退院後、自宅で再び私たち家族と暮らすか、そのまま施設に入所するかの選択を迫られている。
主治医によると、自宅から施設よりも、病院から施設に移動した方が本人も落ち着いてスムーズに移動ができるというそうだ。
現在、コロナ禍で面会が許されず、少なくみても2ヶ月以上、母と会うことができない。もしかしたら、このまま認知症が進み、私の顔を忘れる可能性もあると覚悟している。
今、大きな岐路に立たされているのかもしれない。
noteでも書いています。よかったら、読んでみてください。
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