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デザインの部署から、ライティングの部署にも挑戦して、約二週間が経った。
いくつかの記事を書いた。
コメントを頂いた時は、本当に嬉しかった。
人生で一番嬉しかった。
生きててよかったと思った。
そんな私がどうしても書けない事がある。
不登校だった過去についてだ。
いくつかの記事で、私はその過去に少しは触れた。
だけれど、未だに、直視した、真正面から向き合った記事は書けない。
そもそも、ライティングの部署に入る時に、担当の支援員さんにどんな事を書きたい?と聞かれた。
私は真っ先に、「不登校の過去について書きたい、そして、今不登校の人達にメッセージを送りたいです。」と答えた。担当の支援員さんは「まずは、不登校について書いてみてください」と言ってくれた。
パソコンの前に座って、書こうとした。
書けない。
書けなかった。
不登校だった過去を思い出すと、苦しくなった。
私はその時初めて気づいた。
不登校だった過去を整理できてないという事を。
母に書けない、という事を相談した。
電話口で母は、
「思い出したくもない」
と言ってきた。
私も同じ気持ちだった。
不登校だった事に関しては、もうあまり触れないでおこう。
書こうとしたら、体調も悪くなるし、辞めておこう。
私は諦めた。
担当の支援員さんにも「他のことを書きます」と伝えた。
諦めたはずだったのに、そのことがずっと頭から離れなかった。
本当に、諦めていいのか?
このまま過去を見ないフリをして、前に進めるのだろうか?
私にとって、不登校って一体なんだったんだろう。
不登校で本当によかったのか?
自分を傷つけて生きてきたあの日々は、無駄だったんじゃないか?
一体、あの日々は、今の私にとって何なんだろう。
台風がやってきて、私は近所の実家に帰省することになった。
ふと、思い立ち、不登校の時にずっと書いていた日記を読み直そうと思った。
そこに、何か答えがある気がしたからだ。
実家の押入れから、四冊のボロボロの日記が出てきた。
パラパラとめくると、凄まじい記憶が蘇ってきた。
不安やイライラ、怒り、色々なものが書き殴られていた。
強い感情が湧いてきて、私はもう辞めようと思った。
思い出してもいいことなんかない。
このまま、私は、この問題には触れないでおこう。
そう決心して、日記を閉じた。
結局無駄だったんだ、あの日々は無駄だったんだ。
頭に何度もその言葉が浮かんできた。
悲しい、やりきれない気持ちでいっぱいになった。
日記を片付けることにした。
日記を片付けるために、押入れを開けた。
すると、押入れから一枚の紙が出てきた。
二つ折りにされたそれを、私は、本当に何となく手にとった。
開けてみると、手紙のようだった。
最初、誰からの手紙か分からなかったが、すぐに思い出した。
中学のフリースクールの先生が、卒業の時にくれた手紙だった。
そこには、こう書いてあった。
卒業を迎えるあなたへ
「卒業 おめでとうございます。」
あなたが、学校に行けなくなって通り過ぎた日々、無駄だった日々はひとつもありません。あなたを成長させた尊い日々です。人生は、悲しみやつらいこともいっぱいですが、出口のないトンネルはありません。その後に大きな喜びが待っています。いつでも、自分の行く道を信じて、前へ進んでください。
あなたの人生の先輩より
私はそれを読んで、泣いた。
ああ、あの日々は無駄じゃなかったんだ。
そう思って、泣いた。
私は、確かにあの時を一生懸命生きていた。
そのことを思い出した。
泣きながらでも、今の私のために頑張っていた。
私は、この手紙に救われた気持ちになった。
私は、やっと答えにたどり着いた。
私は、やっと前に進める。
私は、この手紙の言葉を信じて生きていこう。
これからも、ずっと。
最近はnoteでも記事を書いています! よければこちらも読んでみてください! TANOSHIKA piasu|note
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無駄な時間なんてないのですよね。改めて心に刻みます。
コメントありがとうございます。心に刻む、とてもいい表現ですね。私も、人生に無意味な事なんてないんだと、心に刻んで生きていこうと思います。
改めて一読しました。
僕は、2年前に妹を病で失いました。
辛かった時間やと思います。
でも妹にとっては最大限の人生の時間を生きたと思っています。
その分、僕自身も精一杯生きていこうと思いました。
そうだったんですね。isoiさんのくださったコメントを読んで、改めて、生きる事の重みについて、考えました。私も精一杯生きよう、そんな事を思いました。ありがとうございます。