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AKARIの読者の皆様、おはこんばんちは(^^)
くまくまパパです(^(エ)^)ノよろしくお願いします。
5本目となる今回の記事は、前回の主治医の先生が恐れていた網膜剥離『パート1』の続きです。
手術中に何が(;゚Д゚)ノ…入院生活の辛かった出来事とは…((+_+))!?
手術中の出来事や時代とともに変わりゆく入院生活の背景、そして、実は手術よりも辛かった入院生活の真相…これらの出来事を三部構成でお伝えしていこうと思います。
今回は『パート2』といたしまして、時代とともに変わっていった入院生活を事細かにお話していきます。
最後までお付き合いくださると、テンション上がって次の記事も気合い入ります(`・ω・´)ゞ
20年程前の入院生活はこんな感じ…
携帯電話がようやく浸透し始めた時代…その当時の入院生活は今とはちょっと違った感じなのです。
どんな入院生活だったかというと、まず病室は4人部屋でした。これは今も変わりません。
今と違うところは…病室の他に共有フロアがありました。中央にテーブルが置いてあって、それを囲むように3つの長い3人掛けのソファー…そのソファーのどの位置からでも見える位置に大きなテレビが1台、そしてその隣に大きな冷蔵庫が1台設置してありました。この冷蔵庫に、名前を書いた飲み物などを保管するという感じです。
ちなみにテレビを見る、冷蔵庫を使用するは無料でした(´・ω・`)ノ
他にもう一つ、患者さんのご家族や友人の方々が過ごすための共有フロアもありました。
『応接フロア』とでもいうのでしょうか…そこには自動販売機と誰でも自由に使用できる血圧計(この血圧計で脈も測れます。)が設置してあって、食事が出来るように椅子とテーブルも設置してありました。
あと、携帯電話使用スペース…電話ボックスみたいな所もありました。
病室での携帯電話の使用は極力控えるようにと言われてましたので、携帯電話を使用したい時はココに来てました。
そういえば最近、『電話ボックス』を見かけなくなりましたね(´・ω・)ノ
今は小学生でも携帯電話、スマホを持ってるのが当たり前の時代…ですので、需要が無くなったのかもしれません…『テレホンカード』を知らない世代も増えてきているのではないでしょうか…簡単に言うと電話専用のプリペイドカードなのですヽ(・ω・)ノ
テレホンカード式の電話ボックスはほとんどが10円玉と100円玉とテレホンカードが使える緑の電話だったのですが、もっと昔は確か10円玉しか入らないピンクの電話でした…懐かしいなのです(*´ω`*)
でも、110番や119番といった緊急の電話に関しては無料でかけられる仕様でした。赤いボタンが付いていて、そのボタンを押すと無条件で110番か119番に掛けられるという仕組みですヽ(・ω・)ノ
昔、電話ボックスで携帯電話相手に電話をかけたことがあるのですが、10円では1分も持たずにすぐに切れてしまうので最初から100円玉を入れました。すると…
なんと留守電でした…しかも直留守ですヽ(; ・`д・´)ノ
問答無用で100円玉が吸い込まれていったのですΣ( ̄ロ ̄lll)
「このやろー!!100円玉返せー(# ゚Д゚)ノ!!!」と、心の中で叫んだものです(;^_^A
それからは先に10円玉を入れて、繋がってから100円玉を入れるようになりました(;^_^A
もっとも、そのあと間もなくしてPHS※を買うことになるのですがね(;^_^A
※PHSとは、電波がものすごく入りにくい携帯電話(ガラケー)と理解してもらえればいいかと思います(・ω・)/見た目はほとんどオモチャなのです(;^_^A
すみません…話がそれてしまいました(;^_^A
話を戻します(・ω・)/
そして洗濯室…洗濯機(無料です)が1台、乾燥機はありませんでした。
代わりに物干しざおが設置してある広めの乾燥室(無料です)があって、洗濯が終わった患者さんは各々でハンガーにかけて、そして乾かす…という仕組みでした。
常に暖房が効いてた温室でしたので一晩で乾きました。
あと湯舟がある浴室と床屋さんみたいな洗髪室とシャワー室がつながったシャワー室(脱衣所と洗髪室が同じ空間だったと思います)がありました。こちらは今と変わらないかもしれません。
洗髪室があるのは、手術後3日くらいはシャワー禁止で、看護婦さんやヘルパーさんが床屋さんみたいに洗髪してくれるからです。患部の眼帯を外し、代わりにビニール製のアイパッチを水が入らないように着けて洗髪してくれます。
シャワーが許可されてからも、しばらくは水が入らないようにアイパッチに変えてからシャワーを浴びてました。
ちなみにシャワー禁止の間は清拭タオルで体を拭いていました。
あと、曜日によって浴室と洗髪&シャワー室を男性と女性で交互に使用してました。
そして、その当時は新病棟の工事中だったと記憶してます。
今ではすっかり綺麗な病棟が完成してますよ(^^)(『今では』と言っても10年程前の記憶ですけどね(;^_^A…)
当時、年齢層はバラバラだったのですが同じ病室の方と仲良くなりまして、よく病室の4人全員で共有フロアに行ってテレビを見ながら談笑してて、看護婦さんを困らせてました。病室に行ったらもぬけの殻で誰も居ませんからね…最初はビックリされていましたが、時が経つと「やっぱりここに居たぁ(;^ω^)」とよく共有フロアに来られてたものです(*^-^*)
あと、ボランティア室(10時00分~15時00分)があってそこへよく遊びに行ってました。きっかけは、そのボランティア室で『みんなで歌おう、音楽会』みたいなイベントがあったので参加したのが始まりでした。
看護婦さんが困らないように小さなホワイトボードに『ボランティア室に出かけてます。』とメッセージを残して、よく病室を脱走してたものです。そして、ベッドの上の方にあるカーテンレール(ベッドごとに仕切られるようにカーテンが設置してありました。)にホワイトボードを掛けて、くまの絵と冬眠中の文字を書いて就寝していました。
1週間経つころには病室の入り口に着けて(マグネットが着く場所がありました)病室全員冬眠中にしてしまってました(;^_^A
これが初めての入院の印象に残ってるエピソードです(・ω・)ノ
時代とともに変わった入院生活
そして退院して数年後、またもや網膜剥離になっちゃいました(;^_^A
この時の病棟は、まだ工事中の部分はあったものの新病棟が利用可能になってましたので、新病棟の方へ入院しました。初めて訪れた時、前回の病棟と様変わりし過ぎていて、戸惑いを隠せませんでした。
眼科病棟を出て買い物に行こうものならすぐに迷子です。
ボランティア室も変わっていて探すのに苦労しました(;^_^A……はい、この時もよくボランティア室まで脱走をくわだててました。もちろん、ホワイトボードにちゃんとメッセージは残してましたよヽ(;・∀・)ノ…『ボランティア室に逃亡中』って(;・∀・)ノ…
当時の主治医の先生には「あんまチョロチョロせんで大人しゅうしとってね(※あまりチョロチョロしないで大人しくしててね)。」と言われました(;^_^A
毎日のようにボランティア室に行ってましたからね(;^ω^)ゞ
ちなみに、当時の主治医の先生は私が以前記事にした白内障、そして今回の初めて網膜剥離になって受診した時にお世話になった先生の息子さんなのです(´・ω・)ノ…親子二代の先生にお世話になっているのです(*’ω’*)ノ
この時の入院生活はというと…
まず共有フロアが無くなってました(応接フロアはありました)。そして洗濯物を干す洗濯乾燥室も無くなっており、その代わりに乾燥機が新たに設置されてました。洗濯機の上に乾燥機があるという感じです。
病室はというと、4人部屋という点は変わらないのですが、大きく変わってたのが…テレビが各ベッドに設置されてまして、なんと小さな冷蔵庫も各ベッドに設置してありました。
冷蔵庫内に冷凍スペースもありましたので、アイスも保存できました。
そしてテレビの下が簡易ロッカーになってました。貴重品を入れる為の鍵が付いた引き出しも設置してありました。
ただし…有料です(;゚Д゚)すべて有料なのです(; ・`д・´)ノ洗濯機も乾燥機もテレビも冷蔵庫もすべてなのです(; ・`д・´)ノ
さすがに簡易ロッカーは無料でした(;^ω^)ゞ
『テレビカード』というものがあって、すべての機械にカードの差込口があり、カードを差し込んで残高分利用できるという仕組みです。まぁ、テレホンカード?…もしくは病院専用のプリペイドカードみたいなものですね(*’ω’*)ノ
1枚1000円で、もし余ったら専用の機械で払い戻しが出来ました。
テレビなどの使用料はというと…すみません…覚えてません(‘◇’)ゞ
テレビも冷蔵庫も〇〇分で〇〇円って感じだったと思います…が…洗濯機と乾燥機は覚えてます。洗濯機が1回200円…乾燥機が10分で400円………乾燥機、高過ぎませんか(; ・`д・´)ノ
…ですので、私は乾燥機は使用せずに持ってきたハンガーに掛けて、カーテンレールやらベッドの柵、簡易ロッカーの扉まで利用してあらゆる方法で洗濯物を干してました。
「10分で400円も使えるか~い(; ・`д・´)ノ」って思ってましたから(;^ω^)ゞ
前回の入院と同じように就寝中はホワイトボードに冬眠中と書いて病室の入り口にマグネットでペタっと貼って病室の人全員冬眠中にしてました(*^-^*)
そして3回目(あまり覚えてないですけど多分3回目です(;^ω^))の入院の時は会社(当時は工場で働いてました。)の人が面会に来てて、病室に居なかったからとボランティア室まで看護婦さんの案内で来てもらったのを記憶しています。(あの時は本当にお手数おかけしました(。-人-。) …)。
入院生活の1日の流れ
入院生活の1日の大まかな流れをまとめてみましたヽ(´・ω・‵)
今も昔も入院中の1日の流れは大体同じです。
これが1日の大まかな流れです。 ところで、現在の長崎大学病院の『長崎大学病院 入院のご案内』のパンフレットを見てみたのですが… ちなみに『長崎大学病院 入院のご案内』のパンフレットはこちらにあります。 参考元:【長崎大学病院】各種パンフレット 興味がある方は是非覗いてみてください(*^-^*) 以上…網膜剥離の入院中のエピソードでした(*^-^*) さて、今回のお話はここまででおしまいですヽ(・ω・)ノ ここまで読んでくださった皆様、最後までお付き合いしてくださりありがとうございました(*^-^*) くまくまパパでした(^(エ)^)ノ♪
●6時起床
●この間ぐらいに前日の当直の先生の診察があります。眼科病棟の患者さん全員を診察さ
れるので結構な時間が掛かります。
●7時ぐらいに看護婦さんが病室を巡回されます。バイタルチェック(血圧と脈と体温)や
目薬を差したかの確認などです。あと、前日の小便と大便の回数もチェックされてまし
た。
●この間ぐらいになると新聞屋さんが各病室に新聞を売りに来られました。「おはようござ
います!新聞屋~で~す!」 と廊下に響き渡りその声がだんだんと近づいてくると、『今
日も一日が始まった』って感じがして、なんだか元気になったものです(*´ω`*)
●8時朝食、歯磨きなど
●朝食が終わったら自由時間です。それぞれ、テレビを見たり談笑したり、買い物に行っ
たり(ちなみに病院内にコンビニや売店がありました。)自由に過ごしてました。
●12時昼食、歯磨き、目薬など…
●昼食後自由時間
●17時夕食、歯磨き、目薬など
●就寝まで自由時間
この時間が一番暇で、テレビを見ながら買ってきたお菓子を食べてました(*^ω^ *)
●21時就寝
ホワイトボードに『冬眠中』と書いて病室の壁に着けると、『今日も一日終わったな』
…と、しみじみと感じるのでした(*´ω`*)
私は起床してすぐに体温を測って、応接室まで血圧を測りに行ってました。
そして、測定結果がレシートみたいな紙で出てくるので、その紙に測った体温を書いて病室のテーブルに置いておくのです。ついでに前日のトイレの大小の回数も書き込んでおきます。
そうしていれば、私が居ない時に看護婦さんが病室に来られたとしても、カルテに記入できるというわけです。
私が居ない時というのは、診察や買い物に出掛けてる時、あとボランティア室に逃亡している時ですね(*’ω’*)ノ
よく昼食後の自由時間にホワイトボードに『ボランティア室に逃亡中』と書き残し、15時ぐらいまでボランティア室で過ごしてたものです( *´艸`)
さて、入院生活についてお話してきましたが当時の状況は伝わったでしょうかヽ(・ω・)ノ?ちなみに…2025年現在では…
いや~、時代は変わるものですねぇ…ジェネレーションギャップというものでしょうか(;^_^A
まずフリーWi-Fiが設置されていることにビックリしました(;^ω^)ゞ
現在では一人に1台スマホを持ってるのが当たり前…小学生ですらスマホを持ってる時代ですから、フリーWi-Fiが導入されていても不思議ではないのかもしれないですね。
あと、消灯時間も21時00分だったのが22時00分と1時間伸びてました。
さらには、洗濯機と乾燥機の値段…「あんなに安かったっけ(。´・ω・)?」と、首をかしげておりますが、私の記憶違いだったのでしょうか(・・?ゞ
いいや、乾燥機は絶対に高かったはずです(; ・`д・´)ノ…まぁ、洗濯と乾燥をまとめてする場合の値段だったのかもしれませんが(;^_^A
それとマスク…『マスク着用お願いします』と記してありましたが、私が入院していた時はマスクは必要ありませんでした。コロナウイルスが出現する前だったのもあるのでしょうけど…これも時代の流れですね(・ω・)/
【長崎大学病院】入院のご案内|長崎大学病院_入院案内(202504out)終わりに…
2回目の入院の時は何もかもが変わっていて、初めて入院した時の知識はほとんど役にたちませんでした(;^_^A
もし、今入院したとしても過去に入院した時の知識なんてほとんど役にたたないのでしょうね…逆に初めて入院するかのような新鮮味を感じられるかもしれません(*´ω`*)
ただ一つ、ボランティア室に逃亡するのは、いつの時代に入院しても変わらないと思います( *´艸`)
まぁ、入院しないにこしたことはないのですがねヽ(・o・)ノ
次回はラスト『パート3』といたしまして、手術中に起きた辛かった出来事を手術される側視点で出来る限りリアルにお伝えしていこうと思います。それからこの手術よりも辛かった入院生活についてもお伝えします。この入院生活、実は相当辛かったのです((+_+))…
どこが辛かったのか…
何が辛かったのか…
真の過酷な試練が何であったか…その全貌が次回、ついにベールを脱ぐ(; ・`ω・´)ノ!
また気が向いた時にでも覗きに来てもらえると嬉しいです(・ω・)/
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