賛否両論ある「24時間テレビ」について〜障害者当事者になった今思うこと〜

手を繋いでいる様子

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今年も放送されました、「24時間テレビ」皆さんは見ましたか?

「障害者」や「高齢者」を対象としているこのテレビ、長きに続いてますが批判の声や賛否の声がたくさん上がってます。

今年は芸人の「やす子」さんがマラソンで走ることになりましたが、Tシャツが無地の白いものだったため雨で濡れ、下に着ている着用着が透けて見えたため「本人が気にしなくてもそういう所も含めてスタッフがサポートすべきなのではないか」「公開セクハラで見てるこっちが不可解だ」などと今年はこの件などに批判が殺到しました。

さらにやす子さんが走っている最中に胸を触ったように見える映像が流れ、そこでもXやつぶやきなど様々なところで「その人を特定すべき」「ありえない」などといった声が上がったのです。

そんな今年も放送されました24時間テレビですが、今回の件も含め皆さんはこのテレビをどう思いますか?

中には「感動ものにするため〝可哀想な障害者〝を毎回放送するから見てられない」「障害者を見世物にしている」などと声が上がっています。

一方ネットで見る派の意見を調べてみると、「障害者じゃなくても健常者でも難しいことができているからそうは思わない」「障害者も番組の趣旨を理解しているからこそ出演しているわけだから押し売りだと思わない」だからこそ見るんだ、という声がありました。

私の意見は

私は正直小学生である小さい頃は後者で「その人が出演したくて出ている訳だし、障害者健常者に関わらず、すごいことじゃないか」と素直に捉える事ができて見る時もありました。

しかし、大人になるに連れ「障害者でも頑張っているんだな」と感じる時があり、とある回で「障害者だから、とか思われたくない」という当事者がマイクに顔を寄せコメントしているのを聞いて、「頑張っているね、というこの言葉が欲しかったのではないか?」と不思議に思って以来番組は一切見なくなりました。

もちろんその言葉に悪気はありませんし、純粋に不思議に思い、番組を見ていた当時は障害すべての意味すら理解していなかった頃でもあるのか、中学の頃に聞いたその声は当時の私にとって大きな謎でした。

そこから考え「障害者でも頑張っている」という言葉がなぜ当事者にとって不可解なのか、「当事者が障がい者という現実は当たり前だし、自分からすれば普通に応援しているだけなのに」と一生懸命に思考を凝らした思い出があります。

しかし、つい1年前「発達障害」と診断され、その当事者になってからは何となくその理由が理解できた気がします。

きっと「健常者」「障害者」に関わらず平等に見て欲しかったんだろうな、と思いましたが、世間や我々がそう決めつけている以上難しい事だろうなと感じました。

世の中は「障害者」ということに対して偏見や厳しい意見があります。ある意味そんなことに出くわすのも障害者の抱える「障害」の一つですが、そういうのも乗り越えていきたい存在になりたいですね。

イカダを漕ぐ男性 チャンスと書かれた札を持つ男性

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