難病SMA当事者の恋愛・結婚・子育てについて|“生きづらさ”にAKARIを灯す会

AKARI

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こんばんは、私就労継続支援A型のTANOSHIKAの支援員をしています。島川と申します。

このイベントは、難病や障がいを抱えながら発信活動をされている方をゲストにお招きし、自身の活動や生きづらさを感じていることなどについてお話を伺い、リスナーと議論していく会です。

今回は希少難病のSMAの当事者であるお二人をお招きし、恋愛や結婚、子育てについてのお話を中心に伺います。

AKARIはTANOSHIKAが運営する、様々な障害の当事者が、当事者に向けて情報を発信するメディアです。
弊社は「生きづらさ働きづらさのない世の中を創る」というビジョンを掲げており、AKARIもその活動の一つです。

今回はAKARIの活動の一環として、ゲストの生きづらさにAKARIを灯す(ともす)ことで、同じような悩みや生きづらさを抱えている人達の心にもAKARIを灯したい、そういう願いを込めてこの会を開きました。

今回はTANOSHIKAの代表の嘉村さんと、COOの田代さん、そしてインターンの野中さんにも参加していただきます。このように当事者や支援者だけでなく、経営者や行政など立場の違いを超えてお話したいと思います。

ゲストの活動や生活での困りごとについて

島川
今回のゲストを紹介します。
まずは前回も第一回のゲストとして登壇して下さったmegさんです!こんばんは。
本日はお越しいただきありがとうございます。
簡単にプロフィールの紹介をさせてください。

megさんは希少難病SMAの当事者で、車椅子ユーザーです。
自身の自立生活についてや彼氏さんとの日々を、SNSで発信されています。
よろしくお願いします。

@megtmr | Linktree

もう一人のゲスト、川﨑良太さんを紹介します。野中さんお願いします。

野中さん
川﨑良太さんは、
1987年生の33歳でSMA当事者の方です。
21歳の頃から親元を離れ、自立生活をされています。
その後、自立センターてくてくの代表を先代から引き継ぎ、現在も務められています。
私生活では2019年に現在の奥様ひーちゃんさんとご結婚されました。お子さんもいらっしゃいます。
現在は恋愛や結婚、育児、障害者差別について講演などの発信活動をされています。

@Ryota_1120

SMAについて

島川
SMA(脊髄性筋萎縮症)は、遺伝性のある神経の疾患であり、進行性の難病です。
およそ10万人に1人の割合で発症し、国内に約1000人程度の患者さんがいます。

症状は体幹や四肢の筋力低下や筋萎縮があり、支えがないと立ったり歩いたりが難しく、
成長とともに関節が固まって縮こまったりするため、移動には車椅子が必要です。
背骨が曲がってしまう、側弯(そくわん)が出ることもあります。
また噛む力が弱ったり、喉の筋肉が弱り、ものを飲み込みづらくなったり、
寝る際に呼吸器を必要とする場合もあります。

近い病気で言うと、ALSとか筋ジストロフィーなどがあります。

前回の振り返り

島川
megさんは前回出演して下さった時に例えば、毎晩寝る時に呼吸器を付けないとうまく呼吸できなくて酸素濃度が下がって危ないとか、筋力の低下で車椅子からのトイレやベットへの移乗が難しいとか、食事の際に噛む力が落ちてきたとか、ペットボトルや缶のフタを開けるのが難しいとか、そういったお話をしてくださいましたね。

川﨑さんは生活の中でどんな場面で困られたりしますか?

(川﨑さん)
SMAについてはmegちゃんの方がめちゃくちゃ詳しくて、今日前回の記事を読んでたんですけど、僕ですね、つい今年まで自分の病名を間違えてて。脊髄性らしいんですけど「せきついせい」ってずっと間違えてて(笑)。

でも今お話いただいていたmegちゃんの状態でいうと、僕の場合よりも身体が動いていて、進行していくゆえの難しさとか、生活の難しさとかあるっていうのをお話いただいたんですけど、僕でいうとほぼ全介助なので、自分で飲みものを口に入れることも出来ないですし、食べ物を運ぶことが出来なかったりとか。

あらゆることに介助が必要なので、そういう部分での介助の方との人間関係とか付き合いの難しさっていう方が比重が大きいかなと思います。
あと、首がぐらぐらして倒れやすいので、道歩いている時に突然首が倒れたりして、危なかったりっていうのはありますね。

島川
なんかこう首が据わっていない状態になっちゃうというか。

(川﨑さん)
あーそうですそうです。

島川
大変という言葉では言い表せないような状態というか。全部介助がいるっていうのは頼む方もしんどいですよね。

(川﨑さん)
そうですね。慣れるまでは大変なイメージが強いかなって思いますね。全部を頼まないといけないっていうのは。

引っ越し・住む場所について

島川
第一回の時にMegさんが引っ越し先を決めるのが非常に大変だったという話がありましたね。
川﨑さんは今のお家を決めたりするのはどうでした?

(川﨑さん)
引越しはそれなりに大変で、一番最初に自立生活、いわゆる一人暮らしする時に、家探したのはもう14年くらい前ですけど、内見させてもらった不動産屋さんに「最近はこういう人たちを断っちゃいけないからね」って目の前で。

島川
嫌ですね。あからさまですね。

(川﨑さん)
最終的にはいい人だったんですけど、この人直接言ってくるんだみたいな感じで。
まぁ家を探すのは大変ですね。そもそもの(条件が合う)家がなかったりするので。

島川
megさんも引っ越しは大変だったっていう話があったんですけど、あれから少しは落ち着きましたか?

(megさん)
引越しはそうですね、まだ残ってはいるんですけど、住宅改修がやっと終わりそうです。
ただやっぱり自分の動作が慣れていないんで、トイレに行ったり、お風呂に行ったりとかの移乗など動作的な所はまだ全然ですね。

(川﨑さん)
DIYはどうですか。

(megさん)
DIYは順調ですね。ちょっと力を入れすぎて、他のことが進んでないですね。

島川
いつも彼氏さんと楽しそうにDIYをしているのを楽しそうだな~と思いながら見させてもらってます。

(megさん)
STAY HOMEなので。

野中さん
引っ越しなどで様々な壁にぶち当たった時、どうしても諦められない気持ちだったり不安な気持ちだったり多くあると思うんですが、そういった時はどのようにしていつも乗り越えていますか?

(川﨑さん)
引越し自体すごくエネルギーがかかることなので、megちゃんも言われてたことだけど門前払いされたりとか、電話で断られたりとか。難しく言うと尊厳が傷つけられるというか。
何で引っ越したいだけなのにそんなに言われないといけないとか、全然聞いてもないようなこと言われたりとか。
そういう所で尊厳が傷つくし、すごくやるせない気持ちなるという部分と、あとは住みたい所に住めない。
例えばエレベーターが狭かったりとか、景色が良さそうな場所であっても、障害が重くなるとヘルパーさんの駐車場の確保という問題が出てきたりっていうのが同時にあるので。

鹿児島市って、皆さんが思っているより割と都会なんですよ。それで結構駐車場がない物件っていうのが多くて。
そういうのを探すのが負担であったりというのがあるのかなぁと。

僕みたいに話が出来て、御託を並べることが出来る人はこうやって交渉したり、「なんだそれは」みたいに言えたりするんですけど、そうは言えない障害を持った人とかそういう人はほんとに門前払いされちゃったりとか、「いいや、貸せないよ」と言われてしまうところを下手下手に出て「借りさせて下さい」みたいな事をしないといけないのは気持ちが許せないじゃないですけど、嫌だなぁって思うところが多いですね。

野中さん
自尊心が傷つくというか。

(川﨑さん)
自尊心というか、当たり前のことなのになんでこんな否定されなきゃいけないんだろうって。

野中さん
引っ越しなどで様々な壁にぶち当たった時、どうしても諦められない気持ちだったり不安な気持ちだったり多くあると思うんですが、そういった時はどのようにしていつも乗り越えていますか?

(megさん)
引っ越したいと思ったら引っ越したいとしか頭にないので、乗り越えるというかやらなきゃいけない。
乗り越えるというより引っ越すと決めたからしょうがない。
そこは自分の決意だから。

何回も心折れますけど、探す時とかに「何の病気で車椅子になったんですか?」とか「何で車椅子なんですか?」と聞かれる事があったりしたので、そんなの関係ないだろうって思いながらも答えてましたけど、そこで大家さんに判断されるのとか不動産会社からなぜか2階の物件を紹介されたりとか意味分かんないこといっぱいありましたけど。

色んな人に手伝ってもらったので、自分が諦めたらそこで申し訳ないという気持ちが生まれてきちゃうので。
なかなか大変ですけど、気持ちをちゃんと持って乗り越えました。もうしばらくしたくないですね。

島川
前回聞いた時100件くらい送ったって言ってましたもんね。

(megさん)
もういいですね。しばらくは。

介助者との関係

(嘉村さん)
川﨑さんとmegさんに聞きたくて、川﨑さんが冒頭で全介助の人間関係をおっしゃってたじゃないですか。
人間関係について面白おかしく深掘りして聞けたらなぁって。

(川﨑さん)
今日恋愛がテーマなのでいうと、僕ヘルパーさん常に側にいる、側にいると言っても1メートル2メートルの距離じゃなくて、ある程度離れた所なんですけど、一緒の空間にいる中で妻と遠距離恋愛をしていた時に、毎晩電話をしていたんです。
だいたい10時くらいから1時、2時。遅い時は3時くらいまで電話をしていて、付き合う前とか付き合う当初とかすごく盛り上がって長く電話していたんですけど、壁1枚挟んで奥にヘルパーさんが待機している状態なんですけど、僕も電話で「好きだよ」とか言うじゃないですか。
みんなにやにやしてるんですね。

(嘉村さん)
にやにやします。

(川﨑さん)
ヘルパーさんは僕が「電話終わりましたー」って言って、呼吸器を付ける。
介助をする時に、本当に誰も何のリアクションも取らなかったんですね。
電話の内容にはもちろん触れる事もないですし、
仮に間違っても「聞こえてますよ」とか誰も言わなかったんですね。

これは面白くないかもしれないですけど、とっても大事な話で、自分がプライバシーを守ってもらえているっていう安心感のもと、そういう人間関係を作っていけるっていう部分は、今でも感謝してるし、それが守られているおかげで安心して、僕のメンタルも鍛えられてその時があったんだろうなぁっていうのがあるんですけど。
今考えると明らかに聞こえてたんだろうなぁって。僕の甘い…なんて言うんですか。

島川
囁きみたいな。

(川﨑さん)
聞こえてたんだろうなぁと思うけど、みんなそういう感じで対応してくれて良かったなぁと思います。
ちょっと恥ずかしいですね。

(嘉村さん)
いやぁ、めちゃくちゃ恥ずかしいですね。
じゃあ、そこはあえて今のプライバシー重視の話だったじゃないですか。
「ちょっと突っ込んで欲しいよ」、「その件に関して話したいよ」みたいなタイミングはあるんですか?恋愛の話の文脈で。

(川﨑さん)
僕も20代前半くらいから自立生活を始めたので、ヘルパーさんと時間を共にすることが多かったんですけど、その中で恋愛も何回か経験してはいたんですけど、やっぱりヘルパーさんがいると素の自分を出せない時とかがあって、どうしてもヘルパーさん・介助者の存在をふと恋愛が始まると、恋愛中に関しては疎ましく思う時期があったんですけど。

例えばその時間帯は外してもらったりとか、キャンセルしたりしていたこともあって、それはそれで良かった面はあるんですけど、今の自分の生活がどうやって作られてきたかって考える時に、ヘルパーさんがいて、一個の重度の障害があっても生活出来ているっていう事があるのに、恋愛とかの何とかに関しては「邪魔だなー」とか思ってしまう自分にも、もやもやしてしまうものがあったりしていたので。

まぁ妻は幸いにしてそういうところに理解があったんですけど、タイミングなど自分的に色々失敗をしてきて、恋愛が始まるのは嬉しいんだけど、始まってからが毎回毎回苦痛だったんですね。これだとめっちゃモテる人みたいな話ぶりですけど。

(一同)(笑)

(川﨑さん)
そういう部分があったので、重度障害である人は、恋愛とかパートナーといることとかで他者との関係っていうのは切り離せない問題なのかなぁと思います。

先程の質問にお答えすると、ずっと昔の話なんですが、部屋が分かれているときに、「ここから入らないでくださいね」とヘルパーさんにお願いしていたりとか、「この時間帯はどうしておいてほしい」みたいな打ち合わせだったりとか、そういうことはしていた記憶があります。

(嘉村さん)
ありがとうございます。奥様もいらっしゃるのでこっちがドキドキしながら聞いていました。

自立生活について

(野中さん)
川﨑さんは現在自立生活センターてくてくで代表として活動されておりますが、自立生活は個人が自分らしい生き方を実現するための選択だと思うのですが、自立生活をされる方をサポートしたいと思われた気持ちの強さは、過去のどのような経験から来ているのでしょうか?

(川﨑さん)
自立生活って、ざっくり言うと一人暮らしってことになると思っています。
僕の友人のきょんくんは常にヘルパーさんがいる生活を指して「1.5人暮らし」と呼んでますけど。

障害を持っている方は、重度になればなるほど、人の手助けを必要とします。
例えば施設にいる方が、あなたの介助時間はどれくらい必要だと思いますか?と言う問いかけに対して、1日5時間くらいかな、と答えられる時があるんですね。
かくいう僕も当時の代表から同じ質問を受けて、同様の答えを返したんです。
そうしたら代表が鼻で笑って「じゃあ5時間で暮らしてみてください」と。それで考え直しました。

例えば水を飲む時とか、背中が痒くなった時にかいてもらいたいこととか、そう言うのを人はあんまり考えなくて、介助の時間って言うのはトイレ、お風呂、買い物とかしか思いつかないんですよね。
でも、毎日の生活っていうのは、今皆さんが何気なく携帯やパソコンを操作しながら水を飲んだり、目を擦ったり、汗を拭いたり、そういうのが当たり前の生活っていう部分があると思うので、僕らもそういう部分を我慢せずに暮らせるようになったらいいなあと思っています。

自立生活というのは、人と常に空間を共にして生活していかないといけないしんどさもあるんですけど、それと別に、当たり前の暮らしが入っているんだろうなと思っています。
なので人とコミュニケーションを取ったりとか、一緒にいるっていうのは、マイナス面で言うとしんどかったりとかあるんですけど、それがあることによっていろんなことが出来るようになるっていうのは伝えていきたいし、自分も伝えてもらってやっていきたいと思っています。良い面のことを伝えていきたいですね。

(野中さん)
ありがとうございます。結構無意識な動作って見落としがちというか、無意識でやっていることって生活の中でも多いですもんね。

(川﨑さん)
そうですね。
先週くらいに入院した時、夜勤のヘルパーさんをお願いしなかったんですけど、僕は毎晩寝返りを打つのもヘルパーさんに手伝ってもらっていて。
久々に寝返りを打たずに寝たらすごくしんどいなぁと思いました。
夜間の介助の必要性って度々話題に上がりますが、ぐっすり眠るのに必要なのは当たり前なんですね。
人間的な生活を送るのに必要だということが広まるといいなと思っています。

親御さんとの関係

(野中さん)
ありがとうございます。次の質問に移りますね。
お二人の共通点として、現在自立生活をされていて、親御さんとの線引きに苦労されたかと思うんですが、そういった自分で選んだことを責任を持ってやり通すためにどういうことをされていますか?

(megさん)
私の両親は過保護でして、個人的には、障害を持った方の親御さんというと心配性な方が多いと思うんですけど、それを踏まえて考えても過保護中の過保護でして。過保護だけど、自分でできるように育てなきゃいけない、みたいな。過保護+厳しい、みたいな。将来困らないように、自分でできることはできるようにって育てられてきたので、例えば階段を登らされたり、家の中の様々なお手伝いの担当が順番に回ってきたり、というのを小学生の時からこなしながら生活していました。

最初に親元を離れたのは高校に進学したときで、実家から高校が遠かったので、学校の近くのマンションを借りて生活していました。その時は、父方の祖母と伯父が一緒に住んでくれていました。
大学生のときは一旦姉と二人暮らしになったんですけど、姉が妊娠したので、実家に戻ってそこから通いなさいということになって。片道2時間くらいかけて大学に通っていました。

それだけですごく疲れるんですけど、帰ってから階段登らないといけないし、家事の手伝いとかお風呂入ったりとか、全部自分でしないといけなくて、しかも20歳超えても門限22時って決まってまして、そんな生活が嫌になったんですね。大学4年生の時に家出をしました。

そこから、これはあまり真似しない方がいいと思うんですけど、当時の彼氏の家に行って、親と連絡を一切絶って、少しの間一緒に住んで、それから一人暮らししてって感じでした。
その間警察に安否確認されたりしてたんですけど。警察に頼むくらいの親でしたね。

でも離れてからは干渉されることもあまりなくなって。もう諦めたんでしょうね。
ずっといい子でいたので、それにちょっと疲れちゃって。まぁ遅めの反抗期ですね。
それからはやりたいように生きてますけど、それにはやっぱり責任が伴うので。

私の地元は宮城なんですが、震災の時も自分でなんとかしましたし、上京の時も自分で色々決めて上京しましたし、全部自分の責任でやってきました。何もわからないまま。

(島川)
すごいですよね。その行動力とか。

(megさん)
案外なんとかなるんですよ。でも、真似しないでください。良くないので。警察とかに連絡されるので。

(島川)
失踪したと思われますもんね。

(megさん)
そうなんですよ。そうなると勝手に警察が家の中入れるようになるんで。安否確認という名目で不動産会社から鍵を借りられて、警察が本当に普通に入ってくるんで、やめた方がいいです。

(嘉村さん)
一人暮らしをしたい気持ちと、彼氏さんと一緒にいたい気持ち、どちらの方が強かったんですか?

(megさん)
その時は私もまだ20歳そこそこと若かったので、彼氏と一緒にいたい気持ちが強かったです。
ただ、そうするしかないなって思っていたんですよ。
彼氏を作れるとも親は思っていなかったので、彼氏とデートをしたり一緒に過ごすためには家から出るしかなかったんです。

(嘉村さん)
なんか爆発したみたいな感じですよね。めちゃくちゃ家厳しい人とかでよくあるじゃないですか。

(megさん)
そうですね。大学行って、その後家出したんで。良い子の仮面をかぶりながら家出した感じですね。

(嘉村さん)
ありがとうございます。また今度深掘りして聞かせてください。

(川﨑さん)
僕の方の親子の関係は、母親に小学校とか付き添ってもらって通っていました。
幸いにして、あまり干渉はされなかったですね。
「ありがとう」や「ごめんなさい」を絶対言いなさいとか、そういう教えはありましたけど。礼儀正しくいることで障害者は良く扱ってもらえるみたいな考えがあったのかもしれません。
養護学校に入る際も「すみません」「ありがとうございます」は絶対言いなさいと。
確かにそれを守っていると、いじめられることもなく普通に生活できるなっていうのはありました。

20歳くらいで仕事を辞めて自立生活をするってなった時に、自分一人で昼間実家に行って。20歳の時に大きな失敗をしてしまったんですけど、何も言わずに片付けてくれる母の姿を見た時に、いい親だなと思うと同時に何やってるんだろうなと。20歳にもなってこんなことを母親にさせてる状態って何なんだろうなと思って。

加えて当時はよく言い合いというか喧嘩をしていて、このままだと関係性も良くなくなってしまうなと思い、自立生活をしようと思いました。するって決めてから親に伝えたので、あまり反対とかはされなかったですね。
迷惑かけたくないな、とか、そういう気持ちは自分の中にありました。

(島川)
ありがとうございます。
今スピーカーにまぁちゃんさんという方が来られたんですけど、少しお話伺ってもいいですか?

(まぁちゃんさん)
はい。私は途中から参加したんですけど、私も精神疾患を持っていて、最近初めて一人暮らしして、って感じだったので、皆さんの一人暮らしの様子とか、障害を抱えながらどう生活しているのかって話を聞けたのは良かったです。やっぱりTwitterのツイートだけだと限界があるので、こうやって話せるのはいいことだなぁと思います。

恋愛、結婚、子育てについて

(島川)
ありがとうございます。
実はそろそろメインテーマに入ろうかなと思っていたんですけど、今回は恋愛、結婚、子育てについてのお話をメインでしていこうかなというのがありまして。
例えば今の彼氏さんとか奥さんとかとの出逢いについてとか聞いてもいいですか?
megさんは確かネットを通じて出逢われたという話だったと記憶しているんですけど。

(megさん)
そうですそうです。私は基本インドアな人間なので。
あとコロナ禍もあって、人との出会いがなかなかないじゃないですか。
ネットを活用すればいいやというか、単に暇だったんで、ネットでちょっと遊んでただけなんですけど、たまたま知り合って、もうすぐ付き合って1年ですね。

(島川)
割と最近だったんですね、お付き合いされ始めたの。

(megさん)
そうですね。知り合ったの自体はもっと前なんですけど。
知り合った時にはすでにコロナが流行り出していて、なかなか会えなかったんですね。

あとは私がすぐに会いたくないと思いまして。私はSMAで背骨が曲がってるんですよ。
そういうので色々思われたり、嫌われるのは嫌だなと思っていて。
病気のことをちゃんと説明してからでないと相手を信用できないというか。
ちょっとでもわかってからじゃないと無理だなと思いまして。

半年かけて、電話やらLINEやらテレビ電話やら色々やり尽くして、そのおかげか特に初対面とかも普通で。
この病気は結構見た目に現れる人は現れるので、私の場合は背骨も首も曲がってますし、足が細かったりとか、川﨑さんならわかってくれると思うけど、見た目に現れるから、びっくりする人はびっくりするのかなって。
隠してもおけないので、本当に一番最初から病気のことは伝えてました。

(島川)
それでも付き合うって話になったのはすごく素敵だなと思いますね。

(megさん)
私が結構「付き合って付き合って付き合って」って押してましたね。
中途半端な関係が嫌だったので。これまでのことを考えると、中途半端は嫌だなと思って、押していきました。

(島川)
なるほど。川﨑さんはどうですか? 奥さんとの出会いというのは。

(川﨑さん)
出会いとしては自立生活センターなんですけど、僕は鹿児島の方にいて、妻は島根の松江の介助者で。
出張で初めて出会って、そこでお互い顔を見たりとか、挨拶したりとかしていて、その回数が重なるごとに最初はFaceBook上でメッセージのやりとりが始まって。

可愛いなと思いながらやりとりを重ねていて、そのうちまた出張で顔を合わせたんですけど、緊張して「お疲れ様です」しか言えなかったんですね。
メッセージは送れるのにリアルで会うとお疲れ様ですしか言えない。

で、やりとりを重ねていくうちに、電話とかするようにもなって、電話していると素の自分で話せるなということに気がついて。どんどん話が盛り上がっていって、電話でお付き合いしてくださいというお願いをした訳なんですけど。(奥さんには)子供がいたので、お付き合いしたらゆくゆくは結婚するという覚悟でお付き合いを決めましたね。

(野中さん)
ありがとうございます。
川﨑さんご夫婦とmegumiさんカップルはおふたりで一緒に目の前の課題を乗り越えながらも恋愛を楽しまれているように感じていて、大変なこともあるけど楽しむことも忘れていない姿勢が好きなんですが、パートナーとより良い関係を築くために大切にしていることは何ですか?

(megさん)
…なんでしょう。教えてもらいたいくらいなんですけど(笑)。
そうですね、手紙を書きます。何かの時には手紙を書きます。
誕生日とか記念日とかクリスマスとか、強制的に手紙書いてます。

(島川)
でもいいですね、度々気持ちを伝え合うというのは。

(megさん)
彼がすごくおとなしいんですよ。普段気持ちをぶつけることもそんなにないかな。
だから何考えてるかわからない時が結構ありますね。
それはよく言ってるんですけど。なので手紙をお互いに書くようにしています。

(島川)
そういう時は正直に気持ちを書いてくれるんですか?

(megさん)
そうですね。書いてくれます。バースデーカードとかクリスマスカードとは別に手紙を書きます。
もう強制行事ですね。

(島川)
ありがとうございます。川﨑さんの方はどうですか?

(川﨑さん)
そうですね、これは恐らく障害のあるなしは関係ないことだと思うんですが、やっぱりお互いに話をすること、時間を設けて話し合いをするというか。

介助の人がいる中での生活で、普通の人たちが今まで経験してきたのとは違う難しさや不都合、嫌なことはあると思うので、ちゃんとどこが困っててとか、こうして欲しいとか、こうなった方がいいなあとかそういう話を正直にすることが大事かなと思います。

あとは可愛いとか好きとか恥ずかしがらずに伝えることも大事なことだと思います。
僕は過去の恋愛で「何を考えているかわからない」と言われることがあったんですね。
なのでそういうところは気をつけているというか、今はそういうことがない状態ですね。
思ったことを伝えあって、あとは相手のことを思って伝えるのが大事だと思います。
妻は僕より4つ年下ですけど、考えがしっかりしていて冷静に伝えてくれるので、僕もそういう風に伝えられるよう、完璧ではないにしろ努力しているつもりです。

(島川)
ありがとうございます。成熟した関係なんだなって感じてすごくいいなと思いました。
お話を聞く前に思っていたことなんですが、川﨑さんはご結婚の前に奥さんのご両親に挨拶しにいかれてると思うんですよ。その時の反応ってどうだったのかなと思って。

(川﨑さん)
そうですね、遠距離恋愛だったので、挨拶に行くより前に妻がお義母さんに車椅子ユーザーの人と付き合ってるって話したらしいんですよね。
その時に、娘が心配っていうのもあると思うんですけど、大丈夫なの?というような反応をされたということを聞いていて。
僕もそういう反応は当たり前の反応だと思いますが、多少のショックは受けましたね。
でもそれで諦めるとかではないし、自分の介助は基本的には妻にはお願いしないですということを妻経由で伝えて、お付き合いを認めてもらっていました。

挨拶については、本来は僕が伺うべきなんですけど、ご両親が来てくださって。
遠距離恋愛だった時に僕の活動や仕事について妻が話してくれていたので、ある程度納得してくださっているのはわかっていましたし、わざわざ来てくださるというところで大丈夫だとは思っていたんですが、やはり緊張しました。
自分自身も初めての経験ですし、障害があるということがそういう場面ではどうしても引け目に感じてしまう部分があるので、すごく緊張はしましたけど。

その時の介助者の人は介助のプロの人だったんですけど、すごく静かに介助してくれる人で、ちゃんと支えてくれて。反対はされなかったですけど、すごく緊張したかなあというのがあります。

(島川)
ただでさえ緊張する場面ですもんね。貴重なお話ありがとうございます。
川﨑さんは結婚前と結婚後で一番大きく変わられたことはありますか?
また、結婚して良かったことやこれから改善していきたいことなどあればお聞きしたいです。

(川﨑さん)
変わったことっていうのは、そうですね…まず、家に帰ると家族がいるっていうのが僕にとっては嬉しいことだったかなと思います。
一人でも十分楽しい時だってありましたし、そう言ったことが全ていいという訳ではないという前提ですけど。
僕は、家に灯が灯ってて、帰ったら人がいる、家族がいるっていうのは嬉しいなあと思っています。

あとは、重度訪問介護を使いながら自立生活を送るというのは、障害者にとって普通の暮らしに近づくことなんですけど、パートナーがいることで自分の本当の部分、ヘルパーさんとの暮らしだけでは安らげない部分だったりとか、これはパートナーや家族に限った話じゃなくて友人と住むとかでもいいと思うんですけど、リラックスした状態になれる人が近くにいるというのは僕にとってすごく幸せなことだと思っています。

もっと改善したいことは、僕自身はありがたい生活をさせてもらっているので、求めることっていうのはそんなにないんですけど。
障害と恋愛って対極にあるような感じがしますけど、そんなことは全然なくて、誰でも、性別を超えて、一緒の空間にいたかったりいたくなかったりっていうのは自然なことなので、それを選べること。
そしてその選択が尊重されるような状態があるといいなと思っています。

(島川)
ありがとうございます。
megumiさんは以前「結婚はそこまで」とおっしゃられていましたが、結婚に対する憧れや不安などはありますか?

(megさん)
憧れはありますけど、今のヘルパー制度がどうなるのかなとか、金銭的な問題とか、今使えてる制度が使えなくなったらとか。経済的な問題ですし、そこがやっぱり生活に影響してくるので。
相当相手の方に収入がないと、結婚という形はなかなか難しいんじゃないかなと思っています。

(島川)
制度って変わっていきますもんね。

(megさん)
そうですね。
事実婚とか、そういう感じになるのかなぁ…くらいの感じなんですけど。
もし子供ができたりしたらまた考えなきゃいけない問題になってきますし、どうなんですかね。でも今の時間数は最低でも使えないと困ってしまうので、それを手放したくないのであれば、やっぱり結婚は難しいのかな。

(島川)
あんまり制度に詳しくないんですけど、結婚すると時間数は減ってしまうんですか?

(megさん)
そうですね、減ると思うんですけど…そのあたりどうなんでしょう、川﨑さん?

(川﨑さん)
一概に減るとは言い切れないとは思いますが、減らされる理由にはなるんじゃないかなと思います。
パートナーが忙しいとか、仕事をしているとか、それ以上に僕やmegちゃんは自分のことは自分でしたいと思っているので、いろんな理由づけは交渉の時に必要になってくると思うんですけど、交渉が必要ってところが誰にでもできる訳じゃない点なので、こうすればいいよとか僕は簡単には言えないんですけど。
僕も結婚する前そこまで突き詰めて考えてたかっていうとそうでもなくて、一緒に生活したいとか、一緒に住みたいという思いがあって、後から色々考えたというか。

megちゃんが今の時間数を守りたい、最低限ないと困るって言ってるのは、彼氏さんのことを思ってのことでもあると思うし、今の生活を維持していくためにもってことだと思います。そういう思いを持っている人はパートナーとの生活が上手くいくと思いますね。
これは若い障害者に向けて、かつ過去の自分にも言ってる感じなんですけど、じゃあ彼氏彼女に介助して貰えばいいや、みたいなのはちょっとアレかなって思いますね。

(島川)
確かに、夫婦や恋人といえど元は他人ですもんね。そこはしっかり分かった上でやらないとうまくいかないってことなのかなと思ったりしたんですけど。

(megさん)
パートナーを介助者にしたくないんですよ。
やってもらいたくないんですよ、なるべく、極力。
介助者じゃないし、健康体で生まれてれば自分で出来ることなのに、それを彼氏にやってもらうのは違うのかなって常日頃から思っているので。

しょうがない部分はそれでも出てきたりするんですけど、なかなか難しい問題ですね。
一緒に住みたいと思っても、私今生活保護なので、まずは仕事をするのが先だなって感じで。
生活保護だと一緒に住めないんですよね。生活保護が貰えなくなるので。

(島川)
お話聞いてると、制度面の設計が枷になっているというか。
しょうがない面も多々ありますけど、本人たちの望む形にならないっていうのはあるんだなと思いました。

島川
川﨑さん家族の写真を拝見し、息子さんを「一人の息子」として厳しくも優しく、温かく接しているように感じましたが、息子さんに対してどんな風に接していきたいという想いがありますか? 

川﨑さん
楽しく一緒に過ごせればいいかな。自分自身がしっかりした教育者ではないから、子育ても初めてですし、衝突もあったりしますけど。そこに障害があるとか無いとか関係ない。制度で補っていければ。妻が沢山やってくれてあまり偉そうなことは出来ませんけど、プラスになることは言ってあげる。みんなで見守っていけばいいかなぁって。

他にも、以前仰天ニュースでも取り上げられていた、ポジ丸@メインハイさんという有名なYoutuberさんが来てくださいました。川﨑さんのご結婚のお祝いコメントを寄せてくださったのですが、私達だけで盛り上がってしまったので、文字起こしは割愛します。
その後、岩下ゆいかさんというモデルをやっている方も来てくださって、「コロナで撮影が一年くらいなくて大変だった」というお話をしてくださいました。

②に続きます。(※近日公開)

関連記事(第一回はこちらからご覧になれます)

難病SMA、ネフローゼ症候群の症状や発信活動について|“生きづらさ”にAKARIを灯す会①

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