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先日Clubhouseで出会った、希咲未來さんという方にお話を聞くことができました。
未來さんは児童自立支援施設の出身で、Twitter、noteなどのSNSで積極的に発信をされています。
忙しい合間を縫ってアンケート形式のインタビューにご協力していただきました。
ここからは実際に行ったアンケートの内容に、私の方が知識面を補足しつつお送りしたいと思います。
ぜひこの機会に、児童自立支援施設や当事者の想いについて、知ってもらえればと思います!
インタビューを受けていただいた理由や想いについて
私は社会的養護のなかでも年間1200人くらいが入所している児童自立支援施設などを経験しました。
児童自立支援施設に入るまでも、その後もいろんなことがありました。
いま、TwitterなどのSNSで、社会問題と言われていることへの気づきやきっかけになってほしいなと思い、「当事者」として発信しています。
clubhouseで島川さんと出逢い、「社会的養護でも、いろいろな経験者がいることを一人でも知ってほしい」と思い、受けようと思いました。
児童自立支援施設とは
本施設は、児童福祉法第44条に基づき、不良行為をなし、又はなすおそれのある児童及び家庭環境その他の環境上の理由により生活指導等を要する児童を入所又は通所させて、個々の児童の状況に応じて必要な指導を行い、その自立を支援し、あわせて退所者について相談等の援助を行うことを目的とする施設です。
最初に不良行為と書いてありますが、そういったケースばかりではなく、親からの虐待など、様々な事情で施設に入所された方もいます。厚生労働省の調査(2018)では、児童自立支援施設入所児童の約64%に被虐待経験があるとの結果が出ています。
児童自立支援施設に入所することになったいきさつについて
私が児童自立支援施設に入ったのは15歳のときでした。
その時の私の状況は学校ではいじめられていました。
家では父親から性的含む暴力が日常となっていました。
母親は父親からDVも受けていたので、見てみぬふりでした。
どこにも居場所がなく、家にいても「死ぬかもしれない」と思ったこともあり、
14歳のときに家出をし、SNSや夜の街で出会った人たちに今日、寝る場所のためにカラダを売りました。
出会えなかった日は公園のベンチやビルの非常階段で寝てました。
家にはほとんど帰りませんでした。帰るときは朝に帰り、親とできるだけ会わないという生活をしていたのですが、15歳のときに警察に保護され、児童相談所に一時保護所に入りました。
1回目は家に帰されたのですが、2回目の保護のときに児童自立支援施設に入所しました。
補足
近年保護された児童・生徒にこうした性被害や性的搾取が多く含まれているとの調査があり、性被害児童に対する対応・支援が喫緊の課題となっています。現在は各施設が試行錯誤を重ねている状況にあります。
児童自立支援施設は未來さんにとって、どんな場所だったか
児童自立支援施設に入るため、高校を中退していたり、
小学校、中学校のときはいじめられていたので、「学校」という場所への良い思いや行事は記憶にあまりなかったので「学校」という場所を教えてもらえた場所でした。
生活の様子について
入所した児童は、家庭的雰囲気の寮舎で、保護者に変わる専任職員(夫婦制、交替制)と、寝食を共にしながら生活します。児童は集団生活の中で自律的・協調的な気風を身につけていきます。毎日それぞれが責任を果たし、規則正しい生活を送りながら、互いに気遣う温かな人間関係を学びます。日々の寮舎の清掃はもちろんのこと、住居環境の整備もできるだけ自分たちの手で行っています。花壇づくり、除草作業、農耕作業などを組み入れている施設もあります。
小学生・中学生は、日中は施設内にある学校(本校、分校、分教室)に通学し、義務教育を受けます。その他寮における学習時間が設けられ、基礎学力の習得に努めています。分からないままにするのではなく、分からないところをできるようにすると、自分に自信が持てるようになり、少しずつ学力が身についていきます。生活に最低限必要な学力や社会的常識を身につけることはとても大切なことです。
そこで出会った人のことや、印象的な思い出について
私は児童自立支援施設に入るまで、自傷行為をしていたので、半袖を着たり、学校での体育の水泳の時間は全て欠席していましたが、児童自立支援施設では夏に水泳の大会があり、その大会の後に外にご飯を食べに行けるという理由で水泳部に入りました。
水が怖くて、最初は職員さんの腕に掴まりながら、プールに参加し、
練習は厳しかったですが、泳げるようになり、
大会では入賞しました。
私は人生で初めて「やりきった」ことを経験させてもらい、褒められました。
本当に嬉しかったです。
もしかしたら、当たり前のことだったかも知れませんが印象に残っています。
施設を出られてからの生活について
児童自立支援施設を卒業した後は自立援助ホームに入所しましたが、いろんなことが重なり、一時保護所に戻りました。
その後は18歳になってしまったので、一時保護所を出なければいけなくなり、児童相談所の所長さんが契約してくれた部屋に住みはじめましたが、お金や仕事、頼れる人、連絡手段がなかった私は夜の街に戻り、援デリ₍管理買春)に取り込まれました。
住んでいた部屋は強制退去になり、ホームレスになりました。
19歳のとき、ある方と繋がることができ、援デリからは抜け出すことができました。
20歳になった今はSNSを中心に「問題行動」と言われてしまうような行動の”なぜ?”と私の声を伝えています。
児童自立支援施設の出身であることによって困ったこと
児童自立支援施設を卒業し、やっと持てたスマホに入っているのは児童相談所だけ。
すぐに孤独感を感じ、「児童自立支援施設 サポート」と調べたのですが、出てきたのは
「児童養護施設や里親家庭出身の方向け」のもので、「私のいた場所はないことにされているんだ」と感じました。
実際、連絡し、つながれた方もいらっしゃいますが、「児童自立支援施設だから」ということで後々、つながりを断たれたときなどに困ったというか、苦しい思いもありました。
児童自立支援施設と児童養護施設の違うと感じるところ
施設のなかの生活は全く違うので、
このことは触れませんが、私が一番の差があると感じていることがあります。
これは批判したいわけではないのですが。
アフターケアの差があると思っています。
奨学金などの制度や支援に関しては
児童養護施設や里親家庭出身の人向けはたくさんありますが、児童自立支援施設を出身した人向けに使えるものはほぼありません。
アフターケア団体さんもありますが、
ほとんどのところが児童養護施設や里親家庭出身の人向けで児童自立支援施設の出身の人を対象にはしていません。
出たあとの親を頼れなかったり、困ったりすることはあるのは同じなはずなんですが…
あとはそもそもの話なのですが、
児童自立支援施設を経験した人は自分が「社会的養護」にいたと気づいていないことがほとんどなのかなと。そこが繋がりにくさになり、
アフターケア団体さんや施設自体がアフターケアをやれていないので、どんどん孤立していってしまっている現状だと思っています。
児童自立支援施設のと児童養護施設との違い
児童養護施設は全国に約600施設あり、3万人近い0~18歳の子どもたちが保護されているのに対して、児童自立支援施設は全国に58ヶ所と数も少なく、まだまだ知られていないことが多いです。
詳しい沿革などは下記の厚生労働省の資料などをご参照ください。
厚生労働省:児童自立支援施設のあり方に関する研究会報告書 (mhlw.go.jp)
これだけは知っておいて欲しいこと
子どもの”問題行動”と見られてしまうことはその子の問題ではなく、
その子の周りに問題”があることのほうが多い。
ということです。
例えば、子どもが家出をしたとします。
今の日本だと、「家に帰りなさい」や「その子の問題行動」となることがほとんどですが、その子の家庭で暴力があり、その暴力から逃れるため家出をしたとしたら、本当にその子の問題行動なんでしょうか?
これは子どもだけでなく、成人してる人にも言えると思っています。
表面ではなく、心の声を聞いてほしいなと思っています。
noteの記事を読ませていただくと、20歳の時に未來さんにとって大きな出会いがあったようですね。
ありがとうございます。
私は「20歳の誕生日に死ぬ」と決めていたのですが、いろんな出逢いがあり、ないはずだったミライを生きています。
noteに書いた方は私は18歳頃にテレビをみて知っていたのですが、連絡することもなく、ミライを生きていて出逢いました。
今日。
2月11日は大切な日でもあり、
去年のこの日に私は初めてフラワーデモに行った。
初めて人前で声を上げました。
人の多さに驚いた。
「こんなにおかしいと思う人がいるんだ。」
って。
声を伝えた後の拍手が温かった。
「生きてきてくれてありがとう。」
って言われた。
花束を渡された。
意味を知って泣いた。
たくさんの出逢いと温かさを知った。
記憶は消せなくても、生きていく。
希咲未來 – “私、なんで声を上げてるんだろう…”って 思うことが時々ある。 去年の20歳の夏までは諦めてた側の人間だった。… | Facebook
noteでの発信を通じて変わったこと
いいねがきたり、CLUBHOUSEで「noteみました!」っていうことを言われることがあります。
そういうことがあると自分のなかで、
過去の出来事を少し整理できたりしています。
周りには「書く力、凄いじゃん!」と言われ、
私自身の少しは特技と言えることができたかなと思っています。
発信を通じて実現したいことは何ですか?
「私のような存在がいることを知ってもらうこと」です。
社会的養護は児童養護施設、里親家庭だけではなく、児童自立支援施設や自立援助ホーム、児童心理治療施設など、たくさんあります。
虐待が発見され、保護された人もいますが、
私のように虐待があったのにも関わらず、
発見されずに、子どもの問題行動として、保護された人もいます。
いろんな人が発信していますが、
その施設イコールとして捉えるのではなく、
その人の想いとして受け止めてもらうことを1人でも伝え、そうなってほしいなと思っています。
自分と同じような境遇にいる方に向けて、伝えたいメッセージ
とりあえず、今日を生きててほしいです。
私は死ねなかったから、
いま、仲間や友だち、たくさんの人に出逢い、経験してみたかったことを経験できたりしています。
私はこうして、伝えることをしていますが、
未だにフラッシュバックなどもあります。
乗り越えたわけではありません。
私も「とりあえず、今日を生きる」ことをしています。
「息をしているだけで充分なんだよ。」と言われ、その通りなんだろうなと思っています。
いつかは少しでも光のある瞬間があると思っています。
だから、とりあえず、今日を生きててほしいです。
私はTwitterやFacebookのメッセージを開放しているので、もし、よかったら、
いつでもメッセージしてきてください。
今後の目標について
私のいまの目標は「HOMEを作ること」です。
親を頼れなかったり、居場所のない若者たちが一時的に泊まれるシェルターのような場所と、
シェアハウスのように住める場所が合わさっているHOMEです。
これは私が経験してきたこと、出逢ってきた友だちや仲間の声などを知って、必要だと思ったからです。
男女両方作りたいと、思っています。
女の子には女の子としての。
男の子には男の子としての。
生きづらさがあると私は思っているからです。
いまはまだ、なにも始まっていませんが、
必ず、実現させたいと思っています。
お礼の言葉
希咲未來さん、この度はアンケート取材にご協力いただき、誠にありがとうございました!
実は今回取材した私も児童相談所の一時保護所で一時勉強を教える仕事を一時期しておりましたが、そこで出会った子どもたちは、非行の末というよりは、親の都合や虐待などにより、仕方なく家出したり夜中に歩いていて保護されたようなケースが多く、どうしてこんな普通の子がここにいるんだろうと思うような子達ばかりでした。
ただでさえ大変な状況で過ごしてきているのに、その施設を出てからも出た施設によって支援の質や量が変わってしまうような不安定な現状は、このままでいいはずはありません。
希咲さんのように勇気を持って声をあげてくれる人がいてくれることが、同じ施設の出身の方にとって大きな希望だと思います。私たちが力になれることがあれば、またお声掛けください!
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