生きてるだけでキセキ!~先天性内反足の私がイジメと不登校を乗り越えて今~

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皆さんこんにちは。海音(みお)です。

最近は梅雨が明け 過去最多と言われている猛暑日が続いて体調管理が難しく感じます。

熱中症にならないようしっかりと対策を取りお体ご自愛下さい🌞

 

私は先天性内反足(両足)という足の病気をもって生まれてきました。

今こうして“生きててよかった”って心から思えるようになるまでには、たくさんの涙と葛藤がありました。

今回はそんな私のこれまでと今についてお話をできたらと思います。

最後まで読んでいただけたら嬉しいです😊

先天性内反足とは?

先天異常とは、出生前の段階で生じた身体的な異常のことです。「先天」とは「生まれたときから存在する」という意味です。

一般的な内反足は足の後ろ側と足首が下方へ内向きになり、足の前側が内側にねじれます。ときおり、子宮内で不自然な位置に足が押さえつけられていたために異常にみえているだけの場合もあります(胎位性内反足)。それに対し真の内反足は、足に構造的な異常があるもので、真の形成異常です(子宮内で胎児の発育に生じる異常です)。真の内反足では、脚や足の骨あるいはふくらはぎの筋肉がしばしば未発達です。

胎位性内反足の場合、関節が動かないようにギプスをはめ、足と足首を伸ばす理学療法を行うことにより矯正できます。真の内反足の場合も、早期に固定する治療を行うと有益ですが、一般的には手術、それもしばしば複雑な手術が必要になります。

引用元:MSDマニュアル家庭版‐内反足とその他の足の異常‐2022年9月

私の足はどうしてみんなと違うの?

私は物心ついた時にはもう足にギプス・装具の生活でした。

内反足と判明してから、父と母は毎日毎晩、欠かさず私の足をマッサージしてくれていたそうです。

「なんで私だけこんな痛い思いしなきゃいけないの?!なんでギプスや装具を付けなきゃいけないの?」と辛くて泣きながら家族に当たっていました。

家族は戸惑いと悲しそうな表情をしながらも精一杯励ましてくれていました。

 

そんな私が小学生になってから、今までに無かった“周囲から足のことで指摘を受ける”いわゆるイジリやイジメが始まったのです。

「歩き方・走り方が変」、身体測定の時の「かかとが上がってるズルい」(アキレス腱が短いことからが理由)、「くねくねしてキモチワルイ歩き方してる」たくさん嘲笑れてからかわれたり、避けられたり、酷い言葉を投げられたりしました。
どうして私はこんな足で生まれたのかーーずっと「人と違うこと」が苦しくて悔しくてたまりませんでした。普通に歩けない、走ると転んでしまいそうになる、体育の授業で周りと同じようにできない。

そんな小さなできないことの積み重ねが、自分への否定に変わっていきました。

“普通”ってなに?中学生時代

中学生になってからも、やはり周りからの見た目の偏見が大きくありました。

ギプス・装具を付けて大きめの上履きを履いている私。体育も見学のことが多い私。

そして学年が上がる時に手術・入退院があったあと学校に戻った時にはもう既にクラスでグループができており、私は馴染めず…イジメはクラス全体から学年全体へとエスカレート。

車イスを押してくれる人も助けてくれる人もほとんどいなくてとても辛かったです。

何度も「死にたい」「なんで生まれてきたの。この足なんか大嫌い。」酷く自分を責めました。
イジメがエスカレートするごとに私の心はだんだんと擦り減っていって……。

笑ってごまかすこともできなくなり、一人で耐えていたものが耐えれなくなり学校に行けなくなりました。ちなみに、当時の学校の先生達は私がどれだけ救いを求めても助けてはくれませんでした💧
最初、両親からは心配と、“普通”通り学校に行ってほしいということも言われました。

それでももう学校に行けるわけもなく…。

本当に独りを感じていました。

 

そんな時出会ったのが「不登校児が通うフリースクール」の存在。

その時の私にとって希望の光でした✨

外に出るキッカケにもなるし、私の通ってたフリースクールは学校の出席扱いにもなります。
色々な葛藤があったけど、高校進学という夢ができて頑張ることができました。

フリースクールの先生に「海音さんは強い」「これからはひとりじゃない。私たちと一緒に頑張ろう😊」と言ってもらった言葉がとても心強かったです。

生きてていいんだって思えました。

高校進学・アカルイミライ♬

私は地元から遠く離れた通信制高校に進学しました。

自分のペースで頑張れる単位制の学校です。

その間にたくさん社会経験を積もうと、アルバイトもしました。

そして地元を離れて社会に出て気づいたのは、今まで「中学校」という狭い世界だったということ。

そしてよく生きてきたなと自分を褒めてあげたい気持ち。

 

ちなみに…どんなアルバイトをしたかというと❔

接客業、飲食業、食品工場、農業、果物のパック詰め…など出来ることは幅広く頑張りました。

学校ではレポート課題・スクーリング授業・テストをこなしながら😓

 

全ての経験が私を成長させてくれました。

高校に入って私の世界は大きく広がりました!!!!🌈

イロイロあったけれど…

それでも、時間が経つにつれて少しずつ、気づいたことがあります。
私はこの足で生まれてきた。たしかに、人と同じではない。けれど、違うことが必ずしも「間違い」や「劣っている」ことではないということ。

私は私の足で、ここまで生きてきた。転んでも、悔しくても、泣きながらでも、前に進んできたのです。

 

小さい頃から毎日マッサージしてくれた両親の手、励ましてくれた家族の存在、病院でお世話になった方々、支えてくれた友人、フリースクールの先生との出会い、それは私にとって大きな支えでした。

私が自分の足を嫌いにならないように、そばで必死に守ってくれた人がいた。

そのことに気づいたとき、自分の中で何かが変わりました。

今でも、外を歩くときや人と会うとき、「見られているかもしれない」という不安はあります。

でも、私は「この足と一緒に生きている自分」を誇りに思いたいと思っています。違うからこそ見える世界、感じられる痛み、出会えた人がいる。そのすべてが、私の人生にとって大切なものになりました。

「障害」という言葉には重さがあります。

けれど、私がこの足と向き合ってきた日々は、確かに私の力になっています。

見た目に違いがあるからこそ、他の人の苦しみにも、少しでも寄り添える自分でいたい。

誰かが「ひとりじゃない」と思えるような言葉をかけられる人になりたい。

 

私はこれからも、この足と共に歩き続けます。

どんなに悩んだとしても、過去の自分が泣いていた日々も無駄ではなかったと信じて。

最後に

ここまで読んでいただきありがとうございました。

私の体験談をこうやって記事にできる日が来るとは…嬉しいです😢✨

誰かの元気や希望になりますように🌻

これからも色々な情報発信をしていきますので今後とも海音(みお)をどうぞよろしくお願いいたします!

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