現在、なおも語り継がれる「火垂るの墓」初の190ヵ国世界配信について

この記事は約 4 分で読むことができます。

1988年の夏

 私が「火垂るの墓」を初めて観たのは、1988年の夏でした。当時、小学生だった私はジブリ映画が大好きで「となりのトトロ」と同時上映している本作品を観に行きました。どちらかといえば「となりのトトロ」目当てで観に行ったのに、あまりにもつらく悲しいこの物語に号泣し、ショックを受けたことを覚えています。そのあとに「となりのトトロ」を観て笑って帰りました。子ども心に感情が乱高下した日だったなと今でも思います。

 あれから36年の月日が流れ、この物語の主人公である清太の命日9月21日の前日、9月16日に「火垂るの墓」は日本以外の190ヵ国で世界配信されることになりました。海外からはさまざまな反響があり、英語圏の映画レビューサイトで高評価を受けています。

美しい蛍の光とともに幼い兄妹の生き様が映し出され、タイトルを聞いただけでも涙を禁じ得ない作品となっています。

原っぱに飛んでいる蛍

鑑賞した感想

『一生に一度は観た方がいいが、二度目を観るのはつらい作品』と言われています。子どもの頃に観た印象と大人になってから観る印象は大きく変わってくる作品だと思います。

子どもの頃には食べものを分け隔てなく与えない意地悪なおばさんに憤りを感じました。しかし、そのおばさんも戦時中を生きるのに必死で、働こうとしない清太に怒りを覚えてあのような態度を取ってしまったのかもしれない。自分が大人の立場で清太や節子を引き取ることになったら自分があのおばさんのようにならないとも限らないと思いました。

清太、おばさんのどちらかが悪いと責めるだけではなく、戦争という出来事が本来誠実であった人間たちを狂わせるものだと思うようになりました。

あの戦争からいまだに戦争を起こしていない日本において、平和の中で本作品を見返すことができるのは幸せなことかもしれません。

もう二度と戦争を引き起こさないためにも、清太と節子の兄妹の物語は必要で、このメッセージを伝え続けないといけないと思います。

映画館を連想するもの、カメラ、カチンコ、フィルム、ポップコーン、飲み物、拡声器、看板

現代の若者に通じる

私の記憶が確かならば、高畑勲監督は、清太のモデルを1988年当時に生きている若者に設定したとインタビューに答えていました。その清太がタイムスリップして戦時中を生きたと記憶しています。

清太のメンタリティーは現代の若者のそれであり、インターネット上では清太の選択に批判的な意見があります。もっと過酷な環境でも生き延びた人はいるし、おばの家を出ずにいたら餓死で死ぬことはなかったのではないかという意見です。清太には親からの貯金もあり、生き残るにはいろいろな道があったというものです。父親が海軍の将校だったはずなので、海軍同士の絆は厚く、父親の部下たちが清太の面倒をみてくれるはずだったと結末に疑問を持つ人もいます。清太の生き方が批判されるのも時代の流れを感じます。清太の不器用な生き方は2024年の現代社会にも刺さり、普遍的なテーマの物語となっていると思います。

空襲の描写がありますが、敵国アメリカを批判する内容でなく、国内の日本人に向けた眼差しは戦争で非情になる人間関係を映し出しています。敵国に恨みつらみをいうのではなく、戦争そのものを悪としている日本人の考え方がよく出ていると思います。

原作者の野坂昭如氏は自分はこんなに良き兄ではなかったと餓死した妹を振り返り、実際には生き残ってしまった兄としての自分を、懺悔の気持ちでこの物語を書いたとのちのインタビューで語っています。

閉じられた黄土色の本

普遍的な物語

「火垂るの墓」は、いまだにさまざまな意見が語られる美しい魂の物語であり、ただの反戦映画を訴えるだけの作品ではありません。戦争で失われるのは人々の謙虚さ、誠実さ、真心だったりするのです。

現在もウクライナやイスラエルのガザではこのような無垢な子どもたちが戦争に巻き込まれ、傷ついているのです。現代でも普遍的なテーマを持つこの作品が世界中の多くの人々に観られることを望みます。私ももう一度この物語を見返して平和の尊さを学びたいと思います。

クローバーを向かい合わせでついばんでいる青色の鳩2羽

参考サイト

朝日新聞「二度と見たくない傑作」 火垂るの墓が初の全世界配信、絶賛の背景

 

noteでも書いています。よかったら、読んでみてください。

 

おすすめ記事の紹介

HOME

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です