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こんにちは、就労継続支援A型事業所のTANOSHIKAに所属し、AKARIなどで執筆しているWEBライターの1人です。
2024年元旦に発生した令和6年能登半島地震から8ヵ月が過ぎましたが、どのくらい復興が進んでいるか、皆さんはご存じでしょうか?
石川県志賀町(しかまち)では、震度7の揺れで7400棟以上の家屋が被害を受けましたが、まだまだ倒壊した家屋などの撤去が進まないのが現状です。
この記事では、富来地域の出身で、「被災した地元、富来が復興していくために、支援を始めないと!」と奮起し、現在クラウドファンディングを行っている、ご夫婦について取り上げます。
そのご夫婦とは、【障害者ドットコム】の運営者である、川田祐一さん、直美さんご夫婦です。
このクラウドファンディングは、2024年10月11日(金)まで実施されます。
今回は川田さんご夫婦が、どうしてこのクラウドファンディングを始めたのか?川田さんが観た被災地の現在の様子、この取り組みでしたいことなどについて、紹介したいと思います。
川田さんご夫婦が、このクラウドファンディングを始めようとしたきっかけ、被災地入りをして感じた想いとは?
川田さんは京都の大学を卒業する直前で阪神大震災が起き、内定を蹴って、兵庫県西宮市で復興支援活動に1年間従事されたそうです。
ボランティアで出向いた先がたまたま障がい者施設で、障がいを抱えている人が先頭に立って炊き出ししたり、仮設住宅に弁当を届けたりしている姿に、障がいを抱えていても「与えられる」だけでなく「与える」存在にもなれるんだと心打たれ、それから30年間、障がい福祉の仕事に携わってこられました。
今まで培ってきた経験を活かし、富来に恩返しがしたい気持ち一本で、生まれ育ったふるさと、富来の復興を支援する『I GOTO TOGI』プロジェクトを発足させました。
▽『I GOTO TOGI』プロジェクトで行いたい、2つのプラン
方法①「シェアサイクルの導入」
富来に住む方が日常生活を送りやすいよう、また、富来にやってくる方がボランティアや観光がしやすいよう、富来の町にシェアサイクルを導入します。富来では、まだ道路状況が悪いところも多く、車やタクシーでの移動が難しいところがあり、電動自転車を使えるようにして欲しいという声もありました。また、自転車を使えば、町をゆっくりと観光しながら回ることができるため、観光にも最適だと感じています。
そうすることで、
・富来に住む人が、仮設住宅とお店との往復に利用できる
・運動の機会を確保できる
・富来に来た人の、ボランティア活動や観光を円滑にする
などのメリットがあると考えています。
方法②イベントの開催
『I GOTO TOGI』の起爆剤として、震災をきっかけに富来に住む人と富来に来る人とが交流できるイベントを定期的に開催します。
行政、災害ボランティアセンター、観光協会、商工会、福祉施設などと協力して一体になってこのイベントを盛り上げていきたいです。ゆくゆくは、このイベントがボランティアツーリズムのプランの中に組み込まれ、このイベントに参加すること自体がボランティアになる仕組みも考えています。
イベントの第一弾として、2024年10月26日に《I GOTO TOGI FES 2024》が開催されるそうです。詳細はクラウドファンディングのページをご覧ください。
忘れてはいけない
私は能登半島地震関連のものを始め、多くの災害のニュースを書いて来ましたが、特に最近感じることがあります。
それは、能登半島地震を取り上げる媒体が、災害発生時より少なくなったことです。
災害発生時から半年が経つ前は、色んな媒体が取り上げていましたし、テレビで現在の能登半島の様子を観ることもありました。
今ではその様子を映像で観ることがほとんどありません。元旦に起きた地震でしたので、毎月1日に取り上げることはありますが、世の中で他に大きな災害や、不安定な世界情勢のニュースが新たに上がると、どうしてもそこに目が行きがちになります。
私は「能登半島地震の被災者の人がテレビを観れる様に」と、NHKがBSで能登地方に住む人向けのニュースなどを独自に流していることを知っていましたが、2024年7月上旬でこの放送も終わりました。
地元の人の声に耳を傾ける記事などもほぼ皆無になりました。以前は多かった復興のイベントのニュースも少なくなっています。私が知る限りで最近では、以下のようなものがあります。
参考サイト
被災前の能登の風景を 地震で失われたデータ復元し写真展 東京 NHK NEWS WEB(2024年)
能登地震前の日常展示 朝市、祭り魅力たっぷり 読売新聞(2024年)
石川 輪島 「復興花火」被災地の夜照らす 地元の高校生が企画 NHK NEWS WEB(2024年)
と、他の県でも有名な長岡花火など、この文章を書いている現在ではこの位で、復興イベントのニュースよりも復興支援のニュースがほとんどを占める様になりました。
2024年8月末で、自衛隊の派遣も国は止めました。まだまだ解体ができていない多くの建物が、手付かずのまま、その当時の姿で残っています。仮設住宅も9割方完成し、徐々に避難所は減っていますが、まだ400名以上の方が避難所で暮らしているとの話もあります。
自衛隊による244日の派遣期間の中で、物資輸送や人命救助、給水・給食支援などが行われ、入浴支援なども行われて、49万人が利用したそうですが、それも9月2日に最後の日を迎えたそうです。
私がこの部分を書いていた時に思い出したのは、熊本地震でした。あの当時、引きこもりから脱して、まだ仕事を始めて1年も経たない時で、あの時こう思いました。
「私は仕事に行けるの?会社には行って大丈夫なの?」
「今後の生活はどうなるの?」
「また地震が起こるかもしれない…。その時、私はどうしたら良い?」
とか、そんなことばかり、不安がずっと頭をよぎりました。
この間の宮崎県の地震の時もそうですけど、「忘れられるって怖いな」と感じました。
宮崎県の地震は場所が離れていたとはいえ、また大きな揺れを体感して、あの熊本地震の恐怖がフラッシュバックして、体調もずっと悪かったです。
被害の規模が違うとはいえ、ようやく社会に戻った私を襲った熊本地震が、今でも「能登半島地震のことを忘れてはいけない」という気持ちが私の芯にある部分だと思います。
私は障害者ドットコムの川田さんは、インタビュー対談をさせて頂いてから、SNSをフォローさせて頂いたのですが、川田さんの出身地を存じ上げなかったので、川田さんがSNSで能登半島の被災地に出向かれる理由を、この記事の本題のクラウドファンディングの記事を読むまで、恥ずかしながら知りませんでした。
この記事を書いて、少しでも復興の支援に繋がっていけばー、と願っています。
情報が減ってきている中で、私が能登半島地震の記事を書くことも少なくなっていくかもしれませんが、私はあの日起きたことを忘れませんし、今は「地元には戻れない」とその土地を離れた人も、戻って来れる様な、能登半島の復興がより進んでくれることを、遠く福岡県からエールを送ります。
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