カギは日本人の「迷惑ノイローゼ」か? 〜イタリア人医師が語る精神医療の「脱施設化」とは〜

認知症

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こんにちは、ゆたです。

私は3度ほど精神科病院に入院をしました。

そこでは辛いことも、楽しいことも沢山経験しましたし、私のような精神疾患を抱えた人たちとお話しすることで知見を広げることもできました。

一方、イタリアでは、精神科病院を廃止し、患者のことを第一に考えた新たな治療制度を確立しているそうです。

今回はイタリアと日本の精神科病院、そして、医療について記事にまとめようかな、と思います。

イタリアと日本、精神病に対する考え方の違い。

日本人

日本の精神病床の多さは世界から見てもトップレベルらしく、不必要な入院や入院の長期化につながっていると指摘されています。

一方、イタリアでは精神科病院は廃止され、患者は自宅やグループホームなどで暮らしながら、地域の精神保健センターでケアを受けるような形で治療しています。

イタリアで精神科病棟が廃止された経緯には、とある医師の活躍があったようです。

その医師の名前はフランコ・バザーリア医師

かつて、イタリアでは、精神的病いに苦しんでいる患者の隔離や拘束は日常的に行われていました。そんな精神科病院のあり方に疑問を呈したのが、フランコ・バザーリア医師なのです。

狂気は、私たち全員の中にある」と、誰もが精神疾患になる可能性があるとして、病気の人と健常な人の間に壁を作るべきではないと主張しました。

そして、1987年、精神科病院の新設などを禁じた「バザーリア法」を成立し、その後はイタリア全土で精神科病院の廃止が進められました。

イタリア医師が思う、日本の精神病治療に対する問題点について。

イタリアと日本で医師免許を取得し、現在、東京都内で診察に当たっている精神科医のパントー・フランチェスさんは、精神科病院に入院する患者の長期化について苦言を呈しています。

「日本では、既に入院が長期化している患者が沢山います。1年以上の長期入院数は6割を超えていて、その中でも高齢者が多く、家族に縁を切られていたり、身寄りがなかったりと、病院の外での生活に必要なサポート受けられないため、退院できないのです」と話しています。

そして、「患者を社会の一員として、家族や地域住人が病気に対する理解を深め、偏見をとりはらう必要があり、その上で、患者が福祉的なサポートを受けることができれば、退院のガードルは下がるはずです」と続けました。

新たな対策が必須? 入院が増えている「認知症」

現在、日本では統合失調症での入院は減ってきています。その反面、アルツハイマー病や認知症での入院患者はかなり増加しています。

日本でここまで認知症患者の入院が増加しているのには、何が要因なのか、パントー・フランチェスさんはこう、話しています。

「その点において、イタリア人のおおらかさが良い方に働いていると思います。イタリアでは、一人暮らしの認知症のお年寄りがいると、近所の人が気軽に立ち寄って安否の確認をしたり、離れて暮らす家族にも電話で様子を伝えたりします。認知症の人が何かトラブルを起こしても、「仕方ないか」と大目に見てくれるので、すぐに入院だ、とはならないのです」

日本についてはこう話しています。

「日本は、人に迷惑をかけてはいけないという意識がとても強いですね。近所の人は、認知症のお年寄りがいても「余計なお世話かな」と、関わりを持つことを避けようとしてしまいがちですよね」

私自身、人に迷惑はかけるべきではない、と思っていますし、多くの日本人はそう思っているのかも知れません。

それに、都会になればなるほど、近所との関わりは少なくなってきますね。私は田舎に住んでいるため、挨拶は良くしますが、かといって、いつも挨拶をしてくれるおばあちゃんが認知症かどうかなんて、全く知りません。

そして、日本人のそういった感覚が認知症患者を増加させる要因なのではないかというのです。

「認知症の人の家族は、本人が起こす小さなトラブルに気疲れしてしまいます。「これ以上、周囲に迷惑をかけられない」と追い込まれてしまい、結果、病院に入れるしかないと思い込んでしまうのです。日本人の几帳面なところは長所ではありますが、イタリア人のように、もう少し大雑把でもいいかもですね」

日本人は他国から見ても几帳面で、やはり周りに絶対迷惑をかけまいとしがちだそうです。

そこは良いところでもありますが、あまりにも几帳面になりすぎるのも考えようですね。

真面目さが招く、過剰な治療・検査

フランチェスコさんは、人に迷惑をかけることを過度に恐れる日本人の特性を、著書の中で「迷惑ノイローゼ」と表現しています。

それぞれの国の文化や人々の性格的な要素をみてみると、違った角度からの新しい視点があり、私たちでは気づけない問題点を見つけることができました。

そして、最後に、認知症に対して病気だ、と思い込みすぎないように注意を促しつつ、これからの日本医療についてこう、話しています。

「認知症は、よく知られているアルツハイマー型や血管性の他にもいろいろあって、原因となる病気はさまざまです。80歳を超えた人は、大抵は、何らかの認知機能障害を持っているものです」

「現在の医療では、症状が表れる段階まで病気が進んでしまうと、根本的に治療する方法はありません。なので、無理な検査を行って病名や病状をはっきりさせるよりも、認知症の人をありのままに受け入れて、本人や周囲の人が穏やかに過ごせようにする方が意味があると、私は思います」

「社会の高齢化が進む中で、90歳を超えるような超高齢者に無理な検査を施したり、一人暮らしがまだ、可能な状態の方まで入院させていたら、必要な医療費や人材などの医療資源がいくらあっても足りなくなり、いずれは限界を迎えるでしょう。日本は高齢化が進む諸外国の仕組みから学び、認知症にかかわる医療のあり方を見直すべき時が来ているように思います」

(『迷惑ノイローゼ』についてもっと詳しく知りたい場合、下記のURLにて、フランチェスコさんの記事があります。重ねてお読み頂けると深く理解できるかな、と思います!)

参考:「日本人はもっと怒っていい」イタリア人精神科医が危惧する息苦しさの正体

終わりに。

私はフランチェスコさんの話を聞いて、日本人は認知症以外でも様々な病に対して、全く無関心、または過敏になっているかの二極化のように思います。

精神病だったり、身体的な障害だったりしても、サポートは大事です。なので、周りに対しての一定の理解を得られるよう、私自身、記事を書くものとして情報を発信していきたいと思っています。

しかし、過敏に反応してしまうと、当事者が申し訳ない気持ちになってしまい、お互いが気を使うことになってしまいます。

そうなると、凄く生きづらい世の中になってしまうような気がするのです。

健常者と障害者がもっとフランクな関係を気づくためにも、お互いが譲歩しつつも、無理のない関係性が理想的ではないでしょうか?

今回はここまで、以上、お相手はゆたでした。次回に記事でまた、お会いしましょう。

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