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はじめに
先日、NHKの番組「バリバラ みんなのためのバリアフリー・バラエティー」を見ました。その回のタイトルは「#ふつうアップデート 「俳優になれるのは心身ともに健康な人?(前編)」」でした。
ゲストには、俳優の常盤貴子さんが出演されていました。
私も「心身ともに健康ではない」ので興味深く視聴しました。
「俳優になれるのは心身ともに健康な人?」
俳優養成所や、オーディションなどで、応募条件にさりげなく書かれている「心身ともに健康な人」という表記。障害を抱えた人は、実際に演技を見てもらう以前に、文字通り門前払いされるそうです。スタジオが地下にあることが多く、階段で下に降りられない人が通うのは難しいとか、演技以前に環境面での対応ができない、もしくは難しいとみなされ、断られるそうです。
強制力
ドラマシナリオの書き方を少しだけ勉強したことがあります。カメラは見せたい映像だけを捉えていて、視聴者は視野や、視点を限定されている。いわば、強制されてそのシーンを見させられているのであり、シナリオを書く際はその「強制力」を意識して書きましょうということを知りました。「へー、そうなんだー」と思いましたが、どう、意識して書けばいいのかさっぱりわからず、シナリオを書くのは挫折しました。
冷たい言い方になってしまいますが、例えば、車椅子の障害者が主人公の周りにいたらその主人公よりもそっちに目がいってしまって邪魔になってしまう可能性があります。主人公の演技を見せたいなら、車椅子の障害者が取り除かれてしまうのは仕方がないことなのでは?と思ってしまいます。
健常者だって誰でも役者になれるわけではないし、選ばれたひとすくいの人たちであり、視聴者に伝えたい情報を演技としてコントロールして見せることができる人たちが俳優なわけですから、障害者が俳優になるのは難しいのでは?と思いました。
ビューティフルライフ 感動ポルノだったか?
常盤貴子さんといえば、木村拓哉さんとともに主演した「ビューティフルライフ」が代表作の一つですよね。私もOA当時、毎週楽しみに観ていました。最終回は号泣した記憶があります。でも、今から振り返るとあのドラマは、いわゆる「感動ポルノ」だったのでしょうか?
感動ポルノとは?
感動ポルノ(かんどうポルノ、英語: Inspiration porn) とは、2012年に障害者の人権アクティヴィストであるステラ・ヤングが、オーストラリア放送協会(ABC)のウェブマガジン『Ramp Up』で初めて用いた言葉である。意図を持った感動場面で感情を煽ることを「ポルノ」(ポルノグラフィ)という形で表現しているが、ポルノ自体は性的な興奮を掻き立てるものに使われる。
ステラによれば、この言葉は、障害者が障害を持っているというだけで、あるいは持っていることを含みにして、「感動をもらった、励まされた」と言われる場面を表している。そこでは、障害を負った経緯やその負担、障害者本人の思いではなく、積極的・前向きに努力する(=障害があってもそれに耐えて・負けずに頑張る)姿がクローズアップされがちである。「清く正しい障害者」が懸命に何かを達成しようとする場面をメディアで取り上げることがこの「感動ポルノ」とされる。また、紹介されるのは常に身体障害者であり、精神障害者・発達障害者が登場することはほとんどない。
「清く正しい障害者」という一面だけを切り取り、メディアに取り上げられることは確かにあります。人間ならいい人もいれば、悪い人もいるし、複雑なキャラクターや感情を持っている障害者もいるはずです。それが当たり前なんですけどね。
真摯に生きる姿が感動を呼ぶ。
今思えば、あのドラマの何に感動したかというと、困難に真摯に立ち向かう人間の姿に感動したのだと思います。ドラマとは心の葛藤や格闘する姿を映し出すものです。
もう、20年くらい前のドラマなので記憶が朧げなところもありますが、障害を持った車椅子の女性の日常が丁寧に描写されていたことは覚えています。変なパーマかけられて気持ちが凹む姿も、車椅子で路肩の段差に苦労する姿も、同列に彼女の日常の一コマです。その何気ない日常を精一杯生きる姿が人々の共感を呼んだのではないでしょうか。
困難の種類、性質がたまたま難病であり、車椅子ユーザーの女性だっただけな気がします。そのドラマを俳優さんたちが、その役の人生を全力で生き切って演じていたから感動したと思います。手を抜いた演技をしたり、自らの感情をさらけ出さず偽りな感情の演技をすると視聴者はすぐに見抜きます。素晴らしい演技だったからこそ、あれほど感動したと思います。
だんだん真剣な演技ならば、役者が障害者であろうと健常者であろうと関係ない気がしてきました。
ニューロダイバーシティ
2001年のショーン・ペンが知的障害のある父親を演じた『I am Sam(アイアムサム)』を執筆および監督を務めたJessie Nelson氏はこう述べています。
「ユニークな能力のある俳優やスペクトルの俳優をキャストすることを躊躇し、彼らがプロダクションの工程を遅くするだろうと考える人たちもいます。しかし、実際はそれの反対です。彼らの仕事はすばらしく、まわりのすべての人からも最高の演技を引き出します」
以上のように、アメリカでは障害を抱えた人が俳優になる道の第一歩はもう始まってきています。
終わりに
さらっと車椅子の人がエキストラでいても違和感がないドラマを制作すればいいと思いますし、実際に、私たちの日常にそういう風景はよくある風景です。
健常者の新任先生が主人公で、ろう学校に赴任して、反抗期真っ只中の個性豊かな生徒たちに、手話ができないことでいじめられ、馬鹿にされ、けれども、心を通じ合わせていくうちに距離が縮まり、最後には何か大きな目標を達成することができたっていう学園ドラマがあってもいいと思います。
誰を主人公にしてもいいし、誰が脇役になっても構わないし、それを健常者がやってもいいし、障害者がやってもいいと思います。要はそのドラマにどれだけ感情移入することができるかという点です。
障害者が演技する上で物理的に越えなればならない壁や、その障害に見合った支援が必要なのも確かです。そして、正当な報酬を得て、経済的にも自立することも重要です。
「一方で、健常者にとって都合のよい、受け入れやすい秀でた能力を有する一部の軽症者だけを念頭においた、理想論であるというような批判もたしかにある。」
このように批判もあるでしょう。しかし、ただ一つ言えることは、多様な人間が多様に生きているから人生は面白く、世界は面白く、さまざまな人間が、さまざまに演技することで、幾千通りの化学反応が起こります。
そのようなドラマが見てみたいと思うのは私だけでしょうか?
参考サイト:
#ふつうアップデート 「俳優になれるのは心身ともに健康な人?(前編)」
#ふつうアップデート 「俳優になれるのは心身ともに健康な人?(後編)」
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たしかに日本で、障碍者や障害者と呼ばれるというか、カテゴリーの人(私は脳性麻痺とADHD)は、本当にメディアにでないし、頑張っている障害者しか、パラリンピックのように活躍の場が少ないことを感じます。
日本はバリアフリー、アクセシビリティではないし、移動権も尊厳も認められていません。
Co-Co Lifeのように扱ってくれるのもありますが、専門誌。
当たり前に社会に出ることに制約があり
劇団態変ぐらいしか、全員が障碍当事者なのです。
私もエキストラで参加しました。
あと、当事者の語りプロジェクト
第一回 https://wawon.org/interview/story/2093/
第二回
https://wawon.org/interview/story/2095/
にもインタビューを受けましたが当たり前に行きたいだけです。
よかったら、川﨑良太くんのようにインタビューよろしくお願いします。
猿渡達明様、最後まで記事を読んでくださりありがとうございます。
猿渡様は、障害者当事者として色々情報を発信されている方なのですね。「当事者の語りプロジェクト」の記事を拝読いたしました。
ご結婚や、子育てと自ら生活を開拓していかれたのですね。そのためにはいくつものハードルがあったことと思います。
毎日の通勤での電車移動など当たり前に行わなければならない日常生活を当たり前に行うことができない苦しみは当事者にしかわからないものです。
障害者が暮らしやすい社会は健常者も暮らしやすい社会になると思います。それがユニバーサルデザインの考え方ですよね。
福祉が充実することは障害者だけの問題ではなく、健常者にも恩恵があることだと理解していただければ社会がより生きやすいものになるのではないかと感じます。
『ビューティフライフ』の脚本家である北川悦吏子氏は、『車椅子とハイヒール』という本のなかで、車いす利用当事者であるすぎたちよこ氏と意見交換しながら、当事者に納得してもらえる脚本づくりを進めていこうとした経緯を明らかにしています。また、北川氏自身も難病者であったようです。両者はまた、意見交換のなかで、『五体不満足』を著した乙武洋匡氏への違和感も共有していて、日頃脚光を浴びない障がい者の日常生活を描くことを心がけていたようです。
そして、障がい当事者が本人の実体験を劇映画化された作品に出演した先駆的な例である1981年制作の『典子は、今』に関して、藤田修平氏は、松山善三監督が、障がい者に本当に共感できる人物ではなく、辻典子氏の社会参加を阻んだ厳しい現実を取り上げようとせず、健常者の社会に適応しようと必死に努力する姿勢を愛し、やはり現実に目をつぶろうとする観客の感動を誘う描き方であり、物語に不要なをきれいに取り除いていたと断じています(「親たちの闘いと子どもの自立」『ドキュメンタリーマガジンneoneo』no9、2017夏号所収)。なので、本人が出演すれば問題がなくなるわけではないようです。
近年では、2017年制作の『パーフェクト・レボリューション』は、障がい当事者の熊篠慶彦氏の企画原案を松本准平監督が監督を引き受け、脚本を書き、熊篠氏の年来の親交のあったリリー・フランキー氏が主演を担当して、良好な関係性のもとに制作された作品の例に挙げることができます。ただし、この作品では、当事者が演技者にはなっていません。2020年制作の『37セカンズ』では、熊篠氏だけでなく、一般公募された障がい当事者の佳山明氏が主演者に抜擢され、HIKARI監督は、当初の人物像を佳山氏の日常生活に密着しながらつくりかえていったということです。この作品に対しては、目立った批判はみあたらないので、納得性のある作品だと評価して良いと思われます。
堀田哲一郎様、最後まで記事を読んでくださりありがとうございます。
障害者を題材にした書籍や、映画などの情報を色々提供していただき、大変参考になりました。勉強不足ゆえに未読、未見な情報も多く、今後の記事作成に活かして参りたいと思います。