グループホームでの生活〜人と行政に支えられての今〜

グループホーム

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はじめに

私は2年半前に入院していました。その後、グループホームに移り8ヶ月暮らしました。そこは、病院の施設内にあるところで、「宿泊型自立訓練施設」というものです。分かりやすくグループホームと言っていますが、そこは訓練施設と呼ばれていました。そこへ至るまで、そこから今、と話してみたいと思います。

訳がわからなかった入所

入院期間は3ヶ月でした。私はあまり調子が良くないと思われていたようで、訓練施設へ入る予定もサラリとひとこと言われただけでした。家族は父がいますが、私の自立を望んでいたため、私が家に帰るということを良しとしませんでした。それを受けての訓練施設行きだったのですが、私はどこへ行くのかよく分かっておらず、父に拒絶されたと落ち込みました。しかし、数回の見学と体験入所を経て、訓練施設へ本入所となったのです。最初は家に帰りたい!と思っていました。しかし、訓練施設での仲間やスタッフ、行政の方々との触れ合いを通して、本当の意味での自立を目指すことを徐々に意識しだすようになったのです。

訓練施設とは

メンバーは20名くらい。男女がいます。皆、退院後、家に帰るのか、1人暮らしするのか、まだ決まらない人が多く、そういった人たちが羽を休めながら先を決めていく場所でした。

デイケアに通いながらそこで暮らす訳です。最長2年間居れる場所でした。基本理念は思いやり、支え合い、助け合い。色々な疾患を抱えた人がいるため、お互いを理解する必要がありました。そして、掃除や朝ごはんの調理当番をこなしていくのです。朝ごはんの調理は特に大変で、約20名分を作るので、4〜5人の仲間で作業を分担してやるのですが、男性などは料理が苦手だったり、苦手意識が強い人が多く、さばける女性があれこれと指示をして皆協力し合いながら作っていました。元メンバーのOBさんがレシピを書いてくれていたので、ずいぶん助かりました。

部屋は1部屋に2人。ベッドが置いてあり、ちょっとした収納棚があるだけの部屋でした。私は、もう1年近く居るというメンバーさんとルームシェアしたのですが、色々と教えてもらい、仲良くなれたことが良い思い出です。今でもお茶をしながら思い出話をする仲です。

このように、一緒に住んでいるという連帯感が生まれる場所でした。

仲間との別れ

訓練施設で暮らしていると、先が決まったメンバーが巣立っていきます。別れは突然に、という感じでしたが、先が決まるということは大きな第一歩なので、皆祝福していました。

私は、父が高齢ということがあり、1人暮らしの住まいの保証人も自分で探しなさいと言われていました。偶然、社会福祉士をしている友人が訪ねてくれ、身元保証人をしているという別の社会福祉士の方を紹介してもらうことができました。

お金はかかりましたが、父に迷惑をかけず、新居を見つける手伝いをしていただいたのです。その方は、独居老人の身元保証人になったりしている方で、話を聞けば聞くほど、世のため人のために活躍なさっているのだなと思いました。なので、家賃はその方の社団法人に振り込んでいますが、お世話になった分、きちんと振り込まなきゃと思えます。なんせ、引越しの手伝いもしていただいたものですから。

1人暮らしのスタート、そしてTANOSHIKAまで

そうして約1年前に1人暮らしをスタートさせました。やっと手に入れた1人の部屋です。朝起きるのもやっとな体調の時もありましたが、デイケアに通いながら、今後を考えていました。先生に何度も関係者会議を開いてもらい、私の調子に合わせながら話が進んでいきました。その関係者の中に、障害者基幹相談支援センターの方がいて、仕事がしたいと考えていることを伝えたところ、家庭訪問していただき、就労継続支援作業所A型B型の資料や、就労移行支援機関の資料を見せていただけました。その中で、以前やっていた仕事に近いTANOSHIKAと出合うことができたのです。ここTANOSHIKAでは、いつも笑顔の支援員さんが1人ひとりに話しかけてくださり、思っていることなどを話せるので、とても助かっています。

まとめ

グループホームは、自分のことを病気だと分かってくれている人たちとの生活だったので気が楽でした。今私が1人暮らしをできているのも、そこでの準備期間があってこそです。

所長と呼ばれている寮母さんのような存在の方には、関係者会議に参加してもらい、未だにお世話になっています。薬の量のこともオープンに話せる環境で、大変助かっています。生活を見てもらっていたということが大きいな、と感じます。今でも訓練施設での、炊きたてのご飯の美味しかった朝ごはんを懐かしく思い出すnecoでした。

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