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皆さんは、『きょうだい』という言葉をご存知でしょうか?
単なる兄弟姉妹という意味ではなく、障害や疾患、難病などがある人の兄弟や姉妹のことをひらがなで「きょうだい児」または「きょうだい」といいます。
障害や疾患、難病のある当事者のことは、近年取り上げられることも増えてきたのですが、この「きょうだい」という存在については、まだまだ理解や支援が進んでいない現状があります。
今回インタビューさせていただいたのは、そのきょうだいに光を当て、自身の体験を元に制作した映画「ふたり〜あなたという光〜」のプロデューサーを務めた、三間瞳(みまひとみ)さんです。
三間さんに、前編・中編・後編にわたって、映画が制作されるまでのお話や、その反響、自身が経営されているBP&Co.株式会社についてもお話を伺うことができました。
前編では、映画制作をしようと思ったきっかけや、キーマンとなる佐藤陽子監督との出会いについて伺いました!
ぜひ最後までお付き合いください!三間さんのお話は全て太字で記載しています。
三間瞳さん略歴
青森県青森市出身。一橋大学法学部卒業。
障害ある妹の“きょうだい”として、自身の葛藤や苦悩がなかなか人に伝わらないジレンマを抱えて育ち、2021年に自己の半生を描いた映画「ふたり〜あなたという光〜」を経験値ゼロながら製作する。
自主制作映画業界での指標額とされる“100万円”の6倍以上の額を映画制作費としてクラウドファンディングで集めることに成功。
SNS施策〜PR広報活動へも力を入れたことで、同作が14の映画祭で受賞・3つのグランプリを獲得するほか、朝日新聞・yahoo!ニュースや NHKなど様々なメディアにて紹介され、TEDxへの登壇オファーも来る大反響となる。
広報PRとWebマーケティングの威力を体感し、現在は、PR・マーケティングを代行する事業を展開中。クライアントもWebメディア・新聞/NHKなど多数メディア露出を達成している他、各種売上アップに繋げる施策を支援中。
BP&Co.株式会社 代表取締役であり、障害ある妹の“きょうだい“でもあります。
引用:BP&Co. 株式会社
妹の発症で始まった「伝わらない」現実
ーどんはれ:私も統合失調症で、自分の障害をオープンにすることに抵抗がありました。三間さんも妹さんの障害をオープンにするときに抵抗があったと思います。どんなきっかけで「きょうだい」として、自分を主人公にして映画を作ろうと思ったのですか?
抵抗があったかどうかというと、あまりなかったんです。
というのも、いろんな統合失調症の方がいると思うんですけど、私が高校生になったころに妹が統合失調症を発症しました。
発症年齢が10歳でその時に医師から「精神年齢も5歳まで後退しました」と言われたのと、知的障害もあるので、 正確な意思疎通ができているとは言い難い状態なのです。
本当に幼い子と話している感じなので、「私、映画を撮ろうと思うんだけど、あなたのことも書くけどいい?」と聞いても、「ふーん?」みたいな反応で、何がいいのか悪いのか、本人もあまり分かっていないというか。
「恥ずかしい」という感情さえもないタイプの妹なので、隠したいという概念がうちの家族にはなかったんですね。
―どんはれ:映画をどんな人たちに見てほしいと思って制作されましたか?
私の場合、原点は『周りに伝わらない』っていうところなんですよね。
自分の体験を人に話しても、どれだけ言葉を尽くして、「こうだったんだよ、ああだったんだよ」と説明しても、伝わらないっていうことが本当にもどかしくて、苦しかったんです。
障害について知らない、障害者との触れ合いがない、身近に障害者がいない人たちって、世の中にはいっぱいいますよね。
そういう人たちに私の葛藤とか家族に障害がある人たちがどんな感情になっているのか、どんな葛藤があるのかというのを、見てもらわないと伝わらないなっていうのがあったので、「障害のことはわからないけど、関心はある人たちに見てもらいたいな」とは思っていました。

―翼祈:私は障害等を題材にした映画を制作した方にインタビューしてみたいと以前から思っていました。『ふたり〜あなたという光〜』という映画制作プロジェクトの発足から、撮影、編集、公開まで、どんな経過があったのか、教えて頂きたいです。
35歳で降りてきた「映画だ」という閃き
ーなぜ映画という手段を選んだのですか。
映画制作を思いついたのは35歳ぐらいの時でした。
Netflixとかサブスクがどんどん流行ってきて、世の中に浸透してきた頃で、「あ、そっか。映画で作ればいいんだ。映画だったらみんな感情移入してくれるかもしれない」って思ったんです。
今までの経験上、言葉でどんなに伝えても伝わらない。言葉で伝えるよりも、「百聞は一見に如かず」で、「見てもらう」方がわかるだろうと思いました。
2019年の11月ぐらいにふっと降りてきて「映画だ」と思って。映画という手段があったかと思いついたときは、まるで雷に打たれたような、「探していたものはここにあったか!」みたいな感じでした。
障害がある家族のことや、そういう気持ちを伝えたいという思いだけは、根源的にあって、ずっと人生のテーマだったので、15歳の時に妹が発症してからずっと思っていたんですけど、20年経ってやっと方法を見つけて、これこそ私らしい方法だという確信がありました。
ー映画制作の経験はあったのですか?
映画制作の知識も、映画を作ったことも、もちろんありません。
単純に10代20代も映画は好きで、映画を観ることは好きだったんですけど、映像関係の人間ではないですし、実際に映画の制作現場にいたこともなく、全くもって映画のことに関してはド素人でした。
でも、映画にするしかないという確信が揺るがなかったので、「私は映画を作るんだ」って思ってから、気がついたら手が動いていました。
素人からプロへ──運命的な出会い
―制作はどのように進んだのですか?
2019年の11月から「私は映画を作ります!」って突然言い出したので、それまでの私を知ってる人は「三間は何を言い出したんだ?」みたいな、キツネにつままれたような顔をしていました。
「素人が映画を作ってみよう」という団体をたまたま知り、2020年の年明けから、素人ながらスタッフとして映画制作に携わりました。
でも、2ヶ月ぐらい見よう見まねで作っているときに、「あれ?これは全然駄目だ」「素人が映画を作るんじゃ、私が本当にやりたいような映画にはならない」と思うようになりました。
みんなが見てくれて、感動してもらえるような映画のクオリティにするには、軌道修正が必要だと感じました。
―佐藤陽子監督との出会いは?
そんな折に、友人である佐藤陽子監督が制作した映画の上映会をすると聞いて、行ったんです。
彼女は会社員の傍ら、映像を勉強するために映画学校に通った経歴の持ち主だったんですが、もうずば抜けてクオリティが高く素晴らしい作品だったので、その映画上映会が終わった後に監督を捕まえて、「どうやったらあんなすごい映画が作れるんだ」「私も映画作りたいんだけど、あれだけのクオリティをどうやったら作れるようになるのか、教えて欲しい」と伝え、別日にランチに行くことになりました。
―その時の監督の反応は?
その時に、なぜ私が映画を作りたいのかをものすごく熱く語ったんですよね。
そうしたら、陽子監督が、「きょうだいという立場の人たちがそんな苦しい思いとか、周りになかなか言い出せないような葛藤を抱えて生きているなんて知らなかった」って、大号泣されたんですよ。
私は私で「泣かせちゃった」ってびっくりしたんですけど、そこで監督がそれだけ胸を打たれたっていうのは、私の体験を映画にする必要があるんだということが、確信に変わったキッカケになりました。
また、「(映画をつくるために)わざわざ映画の勉強をしたり、映画監督になる必要はない」「映画には、監督以外にもたくさんの人が必要。特にプロデューサー。映画プロデューサーは、映画の最初から最後まで関わるから、ある意味、映画の生みの親はプロデューサーだと思う」と言われたんですよ。
そのときパチンってピースがハマって、私が映画を作るって言ったのは、私は監督になることにこだわってるわけじゃなくて、広めたいって思っているんだと気づきました。自分の気持ちがなかなか伝わらないということを、「わかる」にしたい。ここに想いがあって、映画を作るって言ったわけだから、私はプロデューサーをやろうってスイッチが切り変わったんです。
~中編へつづく~7月13日に公開されます。
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