うつ病viviの「働きづらさを感じると生きづらくなる」

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うつ病viviの「働きづらさを感じると生きづらくなる」

はじめに

ここ数年間「生きづらさ」や「働きづらさ」という言葉をよく見かけ、流行り言葉のように簡単に使われるようになりました。

しかしこの言葉には軽く扱ってほしくない「重み」があると思うのです。

これを感じている当事者にとっては、とても苦しくて「死にたい」「死んだほうがまし」と思ってしまう命に関わる問題でもあります。

「辛い」と感じる度合いは個人個人違います。

ですから辛い理由を話しても「このくらいで」と思われることも多々あり、このようにとられると「辛い」と感じている当事者はとても苦しくやりきれない気持ちになります。

またこの「生きづらさ」や「働きづらさ」という言葉は、私にとっては別々ではありません。

「働きづらさを感じると生きづらくなる」(生きていくために働いているけれどどこにいっても上手くいかない。どうしてもつまずいてしまう。もう疲れた。こんなに生きづらい世の中なら生きている意味がない。死んだ方がまし)こういう意味です。

この言葉の重みを現代社会へ伝えたい。

これはあなた方へ伝えたいメッセージです。

働きたいのに働けない

もうかれこれ30年ほど前のこと。当時私は某ホテルに勤めてました。

そんなある日総務部の部長に過去のあることがバレてしまい、その日から私は弱みを握られ事あるごと「〇〇(私)に〇〇したら〇〇される」とニヤニヤしながら近づいてきては、ぼそっと言われるようになりました。

その頃このホテルでは新旧に別れた派閥が起きていて若かった私はすぐに巻き込まれました。何かと目立つ存在でもあったため総務部長からの皮肉や嫌がらせを受けることが多く、また加えて派閥の争いで疲れて仕事がしにくくなり精神的に追いつめられていました。

次第に電車に乗れなくなり通勤することが困難になり、やっと出勤しても今度は酷い頭痛に襲われるようになってしまったのです。

そして私は決心しました。他のホテルでやり直す話もあったのですが「もういい」「もう終わりにしよう」と決心してここを辞めようと行動しました。

だけど夢まではあきらめてはいませんでした。

七転び八起き

私は何度転んでも懲りずに何度も立ち上がってきました。

転ぶ度に頭を抱えながらあの人たちは最低だ「私は悪くない」「あの人たちを見返してやる」「上に上にもっと上に」という野心がありました。

だけど社会はそんなに甘くはなく何度も転びました。

どこに行っても敵がいました。敵のいないところはない。一番悔しかったのは入社したその日から敵が現われたこと。私のこと何も知らないはずなのに、なぜか知っている。履歴書をみないとわからないことが知られている。初日からなんとも冷たい空気だったことです。

そういうところに限って覚えなくてはならないことがたくさんあって指導してもらわないと仕事ができない。だけど一度では覚えられない。覚えられないことで、これみよがしに皮肉を言われ嘲笑。その反対にできた仕事があると舌打ちされる。

完璧な人と勝手に思われ誰もがしていたミスを私がすると私の時だけ大きく騒がれたり、まだ仕事をなかなか覚えられなくて時間がかかってたりすると、ここぞとばかりにののしられる。そして働きづらくなってとうとう挫折し逃げ出してしまうありさま。

死にたい

どうして私はこんなことばかり繰り返すのでしょうか?

働きたいのに働けない。長く勤め続けたいのに続けられない。向かうところ敵ばかり。毎回毎回なにかがある。ここが踏ん張りどころというのにそれができない。

「もうダメだ。疲れた」「もう闘えない」

「今日まで頑張ってきたけれどもう生きていくことに疲れた」

こうなったのは「私が悪い」「嫌われて当然」「私のような人間はどこに行っても同じ」「生きていてはいけない」「私がいると揉め事が起きる」「私がいるから空気が悪くなる」「私は最低」「今度こそ死にたい」

死ねない

子どものころから「死にたい」と思うことが何度もあったけれど死ねませんでした。

大人になってからも何度も何度も思いました。だけどやっぱり死ねなかった。

実行することができなくて代わりに心の中でその都度死にました。

生き続けることが辛い。もう嫌だ。もう疲れた。

だけど死ぬこともできない。そんな自分が情けなくて一人で泣いて泣いて。泣き疲れて寝る始末。

「死ぬのが怖い私は意気地なし」

生きるのだ

死ねないのなら生きるしかない。辛いけれど生きていかなければならない。

生きていくためには働かなければならない。

だからどんなに辛くても誰も助けてくれなくても自分の足で立ち上がって歩くしかない。

そこに「敵」がいても「障害物」があっても逃げないで頑張らないといけない。

だけど歩き方がわからない。多分これからもずっとわからない。

「生きづらさ」と「働きづらさ」は私の永遠の課題。

だからどんなに辛くても生きることから逃げないで頑張って働いて生き続けなければならない。

生きるしかない。生き続けることをあきらめない。生きるのだ。

おわりに

「働きづらさを感じると生きづらくなる」

だけど生きていかなければならない。そして生きていくためには働かなければならない。

働きにでると「障害物」にぶつかり困難に立ち向かわなければならない。

その困難は毎回毎回辛くて苦しくて辛い。怒りたくないのに怒らなければならなくなるし、泣きたくないのに泣いてしまう。

うちから一歩出るとそこは戦場。戦場には行きたくない。だから出たくない。出たくないけど出ないといけない。生きていくためには出ないといけない。出るのが怖い。出たらまた辛いことがきっとある。

今度また働きづらいと感じたら、きっと生きづらくなってまた死にたくなると思う。

だけど私には死ぬ勇気などない。死ぬのは怖い。ならば生き続けるしかない。だけど生きづらい。この辛さは誰にもわからないと思う。だけどわかってほしい。

あくまで私の場合だけど、これが「生きづらさ」と「働きづらさ」

この言葉は別々ではなく「働きづらさを感じると生きづらくなる」

だけど生き続けることを選択した以上生きなければならない。生き続けるためには働かなければならない。

「障害物」に何度ぶつかって辛くて苦しくなっても生きて働かなければならない。

この「生きづらさ」と「働きづらさ」という言葉の重み。現代社会に届いてほしい。

これが私からあなた方へ送るメッセージです。

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5 件のコメント

  • ブログ読ませていただきました。同じような目に遭っている人は貴女だけじゃないと思います。心にしまいこんでいる人に勇気をくれていると思ってください。その一人です。

    • こんにちは。ダックスフンドさん。いつもコメントありがとうございます。今回の作品はあまりいい感じではなかったようですね。少し与論を意識しすぎました。すみません。でもありがとうございます。また辛口なメッセージになることもあるかと思いますが、よろしくお願いします。頑張って生き続けますよ。

  • 誤解を招いたようなメールになってごめんなさい。実際こんな苦い思いを隠して仕事をされていたり続けることができなくなって他の仕事に変わられたいる人もいると思います。この記事はそんな人たちへの応援になっていると私は思っています。貴女の書く記事で私も救われているひとりで助けられています。無理だけはしないでください。

    • おはようございます。ダックスフンドさん。どうぞ気になさらないでくださいね。今回の作品はいろんな意見がでるだろうなとは思っていました。だからこうやってコメント下さって頂いたことは、とても嬉しくおもっています。ありがとうございます。これからも頑張って生き続けます。

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    うつ病と闘うアラフィフ。おまけに、腰部脊柱管狭窄症!踏んだり蹴ったり。のんびり穏やかに毎日を送っていきたいと思ってます。