「幾度もの転機を乗り越えて」うつ病viviの歩み

転機

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「幾度もの転機を乗り越えて」うつ病viviの歩み

はじめに

「幾度もの転機を乗り越えて」

ここに至るまで、幾つもの「転機」がありました。

それは長い長い道のり。

転んでは起き転んでは起き、そのたびに心身はボロボロになっていきました。

そして最後は、立ち直ることもできず疲れ果て起き上がれなくなってしまいました。

周りを取り囲む環境に対して、どうしようもないと諦めていたところに、

ここTANOSHIKAにたどり着きました。

そして温かく優しい支援員さんたちに出会い、

閉じこもっていた殻の中から少しずつ出ていくことが出来たのです。

生まれて初めて知った人の温もり、

人とはこんなにも温かいものだったのかと言っても過言ではないくらい感銘しました。

ですから、なかなか人の温もりを感じることができずにいる方に教えてあげたい。

そんなあなたにメッセージを送りたいと思います。

怒涛の学生時代

viviの学生時代は「怒涛の12年間」でした。

小学校から高校まで波乱万丈な毎日。

電車の通る線路を見つめて、いつ飛び込もうかと模索していました。

だけど出来なかった。

死ぬ勇気も生き続ける勇気もない。

何もかもが嫌になった時に、湧き上がってきた心の声。

それは「1%の希望を信じてみよう」というもの。

その希望というものがどんなものかはわからないけれど、今よりは悪くないはず。

なぜなら、今がどん底だから。

これ以上、下には落ちないだろうと当時は信じていました。

職員室にて

高校1年生の時でした。

悔しくて悔しくて仕方のなかった出来事があります。

それは一番最初の転機。

初めて感じた「屈辱」から始まりました。

この経験があったからこそ、卒業してから現在に至るまでの社会生活を送ることが出来たのだと思っています。

これがなければ、viviはとうに終わっていました。

これは後に社会を渡り歩く為の「武器」になったのです。

この武器とは、「人と交えるために必要なこと」

つまり、笑顔で挨拶をし素直な受け答えができるかどうか。

積極的にそうすることで円滑に人と応対ができるかどうか。

これらを身に着けることによって、一人の人間として一人の社会人としての振る舞いができるようになったということです。

この身に着けた武器と1%の希望を持っていたからこそ、傷つきながらも前に進むことができたのだと思います。

そう考えれば、この屈辱は必然的な出来事であったと言えます。

停学初日

高校1年生の春。入学して間もない頃でした。

校内喫煙で1週間の自宅謹慎と3か月の停学を言い渡されました。

自宅での謹慎を終え、久しぶりに登校した停学初日の朝。

何も考えず、言われたまま職員室へ。

無言のまま、ガラッと引き戸を開け、中に入ろうとした時のことです。

「やり直し!」

と言われました。

「はぁ?」

と答えると、

「ノックを3回。返事があったら『入ってもいいでしょうか?』と言って、『どうぞ』と返事があったら『失礼いたします』と静かにドアを開けて中に入りなさい!」

一旦、廊下へ追い出され、やり直しをさせられました。

閉めだされた廊下で、再びドアの前にたつと、悔しくて涙があふれてきました。

まともに人に頭を下げたことがなくて、ましてや学校の先生に頭を下げるなんて・・。

しばらくの間、立ちすくんでいました。

そしてノックをして、渋々と小さな声で「入ってもいいでしょうか?」というと

「声が小さい!やり直し!」と言われました。

悔しかった。その場から逃げ出そうと思ったけれど、

「逃げたくない!」

という気持ちもあり、何度かやり直しをして中に入ることができました。

そんなことを繰り返しながら3か月の停学を過ごし、二度目の無期停学を言い渡された時には、職員室の常連となり模範囚のように扱われていました。

その代わりといってはなんですが、日付なしの退学届けを提出させられ卒業するまで、一部の先生に脅されていました。

晴れて就職

いろいろあって波乱万丈だったけど、怒涛の12年間を生きぬきました。

そして晴れて就職。気持ちは晴れ晴れとしてました。

今日から自由。もう大丈夫。

生まれ変わって出発する。

もう誰からも束縛されない。

自分の足で歩ける。

そう思って前に進みました。

初めての職場では停学中の経験が役に立ちました。

あれがこんなに役に立つとは・・。

おかげで礼儀を重んじ積極的に挨拶ができる、そんな素直なお利口さんになっていました。

時を重ねるごとに、それは自分のものとなり、

後に接客サービス業で華を咲かせるまでになったのです。

天職

そんなある日、19歳の時に天職に出会いました。

当時、流行っていたホテルマンの仕事です。

その中でも、フロントはホテルの顔。

この仕事にたどり着きました。

水を得た魚のように振る舞うことができていました。

本能のおもむくまま、動くことで他の人とは違う感覚で仕事ができました。

それができたのは神経質でプライドが高く、仕事にこだわり持っていたからだと思います。

しかし、その裏にあったのは心の傷の深さです。

若くして死をも覚悟していたから・・。

だから、傷つかないためにビクビクして「次に起きることを先回りして動く」ことが戦法でした。

もう傷つきたくない。前を向いていたい。1%の希望を信じていたい。

それが全てでした。

心機一転

手に職をつけるため、選んだのは医療業界。

それまでの仕事を辞めて資格を得るため学校に通いました。

学校だけではなく自宅でも猛勉強し、資格試験を受けて一発で合格。

早速、その仕事に就くことができました。

でも、そこは厳しく冷たい殺伐とした環境。

それでも、この業界でやっていこうと決意しました。

しかし、目指した明日は、風が冷たくなるばかり。

ある日、心と体のネジが止まりました。

そして寝込んで起き上がれないといった事態に・・。

涙と悔しさと腹立たしさ。

そこから、立ち上がれなくなり、1年、2年そして7年が過ぎていきました。

そして、8年目にここTANOSHIKAに、たどり着きました。

おわりに

始めはもう誰も信じられないと、心を閉ざしていました。

何がきっかけだったか、よく覚えていません。

ですが、それでも覚えているのは、支援員さんたちがいつも笑顔で接してくれたことです。

それと、いつも見守ってくれてました。

そして、もうひとつは、AKARIです。

記事をupする度に、読んでくれてました。

viviは口では思うように話せないので、「書く」ことが「伝える」こと。

思っていること、感じていることを書いて吐き出すことが、

いわば、「リハビリ」今もなお、続く心のリハビリです。

これを繰り返すことで、身近な支援員さんと繋がっていることができます。

離れていても見守ってくれる。

今日が楽しくて、明日が楽しみ。

不安な時も、きつい時もあるけれど、そこはいつでも解消させてくれます。

「書く」ことに慣れてきたら、

「話す」ことも少しずつですが出来るようになってきています。

長い長いリハビリ生活のおかげです。

このリハビリは、温かい支援員さんがいてこそ。

なんとも言えない居心地のよい空気。

viviは半世紀近く生きてきて初めてといっても過言ではない、

この温かく優しい空気に毎日のように包まれています。

まだ、感じていないあなたにも知ってほしい空気。

どうやって伝えたらいいのでしょうか?

いつもいつも冷たい空気にさらされて、

環境を変えてみても同じで、誰も信じられなくなって。

行き場のない苦しみを感じて、枕を涙で濡らす毎日。

あなたでなくても、周りにそんな人いませんか?

もし心当たりの人がいたら、どうか笑顔で接してあげてください。

あなたが当事者であれば、巡り巡って出会えるでしょう。

悲しみはいつまでもは続きません。

viviは半世紀近くもかかりました。

長かった、この道のり。

だからこそ、ここから出ていく勇気はありません。

外は怖い。また冷たい空気にさらされるのではないかと思うと身の毛がよだちます。

それだけ、ここは温かい。

あなたにも感じてほしい。

陽だまりの中で生きていくことの楽しさを知ってほしい。

そして笑顔で毎日を過ごしてほしい。

生きていくことをあきらめないでほしい。

明日も生きていてほしい。

今日がダメでも明日はいい日になるかもしれない。

どうか、あなたの心に温かい希望の光が差し込みますように。

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2 件のコメント

  • すごい体験をされたにも関わらずここまで自分を立ち直らせた貴女のブログで考えさせられました。嫌な思いをしていることが辛いから心を閉ざして人を受け入れることがだんだんと難しくなってきているときにこの記事を読んだのです。逃げているし自分の気持ちも後ろをむいていることを教えられた。気づかせてくれてありがとう。時間はかかるけどがんばってみます。

  • こんにちは。ダックスフンドさん。いつも読んでくださって、ありがとうございます。
    そんなにすごくはないですよ。まだ、辛い経験をされている方がいらっしゃるでしょうからね。
    でも、これを読んで、何かに気づいていただけたのなら幸いです。
    これからも、ゆっくりゆっくり歩いていきましょうね。

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    うつ病と闘うアラフィフ。おまけに、腰部脊柱管狭窄症!踏んだり蹴ったり。のんびり穏やかに毎日を送っていきたいと思ってます。