「障害は個性」という言葉について

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こんにちは。TAMAOです。

僕は精神障害2級手帳を持っています。これはつまり「あなたは精神障害者です」と認定されているということです。はい。僕は精神障害者です。バリバリの精神障害者です。

 

「障害は個性」という言葉をよく聞きます。

障害は個性……ですか。

精神障害者の僕は、この言葉を聞くたび違和感を覚えます。

1.「障害は個性」という言葉

まず、「個性」という言葉の意味を調べてみました。

大辞泉(小学館)

個性

個人または個体・個物に備わった、そのもの特有の性質。個人性。パーソナリティー。「―の尊重」「仕事に―を生かす」「―が強い打撃フォーム」

大辞林(三省堂)

個性

ある個人を特徴づけている性質・性格。その人固有の特性。パーソナリティー。「強烈な―を持った作品」「―を発揮する」

なるほど、解説を読むと、「個性」という言葉は「その人をその人たらしめる特徴」と捉えることができます。そうするとたしかに「障害者の持つそれぞれの障害は、個性である」と捉えることができます。

 

次に「障害」という言葉を調べてみます。

大辞泉

障害

1 さまたげること。また、あることをするのに、さまたげとなるものや状況。「旧弊が改革の―になる」「―を乗り越える」「電波―」

2 個人的な原因や、社会的な環境により、心や心身上の機能が十分に働かず、活動に制限があること。「胃腸―」「言語―」

なるほど。1は「邪魔」、2は「不利(条件などが相手より劣っていること)」と捉えることができると思います。

 

では「障害者」という言葉はどういう意味なのかというと、

大辞泉

障害者

身体障害・知的障害・精神障害(発達障害を含む)その他の心身の機能の障害があり、障害および社会的障害によって継続的に日常生活や社会生活に相当な制限を受ける状態にある人。

ふむふむ。それでは「障害は個性」という言葉をそのままに受け取り、「障害者」の解説文の「障害」をすべて「個性」に置き換えてみると、

「身体的個性・知的個性・精神的個性(発達的個性)その他の心身の機能の個性があり、個性および社会的障害(ここだけそのまま)によって継続的に日常生活や社会生活に相当な制限を受ける状態にある人」

となります。

どう感じられたでしょうか。文章としては特別おかしいというほどでもありません。しかし、「障害は個性」というのであれば逆に「個性は障害」ともなります。「障害」という言葉には「邪魔」「不利」というような意味があるので、「特異な個性は障害(不利)になり得る」と。

2.僕が受けている恩恵

精神障害者の僕は障害者手帳によりバスや電車に半額で乗ることができるし、他にもいくつかのことを免除され、また優遇されています。

さて、これは“個性”の賜物でしょうか?

いいえ。ちがいます。これは「あなたは障害を持っているので『生きづらさ』があるでしょうから、いくつかのことを軽減してあげます」という、いわば「お情け」です。

僕はそれをとてもありがたく思っています。僕は福祉のお世話になることでものすごく生活しやすくなっています。

3.心のバリアフリー? うーん……

障害者基本法(昭和45年法律第84号)に基づき、日本政府は平成6年から毎年、「障害者のために講じた施策の概況に関する報告書」を国会に提出しています。

『障害者白書』という名のこの報告書の平成7年度版において、障害を個人の能力やパーソナリティー特性と同類とみる「心のバリアフリー」という言葉が使われました。これは、

・いままでの障害観は「偏見、差別」また「憐れみ、同情」といった「健常者とは異なる存在」というものだった

・それは「意識上の障壁」である

・これからはノーマライゼーション、つまり「障害者や高齢者など社会的弱者を社会から保護・隔離するのではなく、通常の社会環境や生活様式に可能なかぎり近づけていこう

・「障害は個性」と捉えることにより、障害者は「健常者とは異なる存在」という意識を持たないようになる。これで障害者と健常者の区別が取り払われる

というものです。

しかしこれに対して教育心理学者で桜美林大学大学院心理学研究科特任教授の茂木俊彦氏(故人)は、「障害は個人の生活と活動を制約する面を持つものであり、意識の上で位置付けを変えてもその制約が軽減したり解消されるものではない」「障害者は健常者にはない特別なニーズを持つものであり、その充足の提供を社会に向かって要求する権利を持つのだから、『障害は個性だ』 というのは問題のすり替えになる」と述べました。

たしかに茂木俊彦氏の言うとおり、「『障害は個性だ』と言い、障害者と健常者の間の(あらゆる意味における)意識の壁を取り払ったとしても、現実の物事に対する障害者の不便さは変わらない」と思います。それどころか、障害者と健常者の(あらゆる意味における)区別を取り払ってしまうと障害者はいままで以上に生きづらくなってしまいます。

また、「障害者」という言葉を「これからは『障碍者』と書こう、いや『障がい者』と書こう」という動きもありますが、どのような書き方をされたところで障害を持っている人の生活になんら変化も影響もありません。

4.「差別」と「区別」

「障害者に対する差別をやめよう」

これはとても大切なことだし、僕は障害者の立場として本当にありがたいことと思っています。しかし世の中にはこの「差別をやめる」ということを必要以上に強く受け取り、「障害者というものは存在しない。どんな人も全く同じである」という考え方をすすめる人がいるように思います。これに対して。

差別と区別は違います。

差別とは「扱いに差をつけること」です。対する区別は「あるものと他のものとが違っていると判断して分けること」です。

差別と区別を混同し、なんでもかんでも無くしてしまうと、トイレも男女別ではなくなってしまうし、バスや電車の優先席も無くなり、駐車場の車椅子マークも消えてしまいます。そしてもちろん障害者は社会から何の助けも得られなくなってしまいます。

僕は、「障害者は『障害者』として『健常者とは違う』と区別してもらう」ことが必要だと思います。そしてそれは差別とはまったくの別物なのです。

5.「社会モデル」と「医学モデル」

「社会モデル(障害者の社会モデル)」とは、「障害者が社会生活に適応しづらいのは、社会の在り方が障害者に適応していないから」という考え方です。

「医学モデル(障害者の医学モデル)」とは「障害者が社会の生活に適応しづらいのは障害によるものなので、障害者は治療・リハビリ・訓練を受けて社会に適応できるようになろう」という考え方です。

この二つの考え方についてどちらに賛同するかは、障害者本人、そして周囲の人で分かれるのではないでしょうか。いや、むしろ、この二つの考え方についてどちらに賛同するかは、障害者本人、そして周囲の人で分かれるべきだと思います。

精神障害者である僕は医学モデルの考え方に賛同しています。僕は「一般的な生活を送りたいけれど、それが難しい。その原因は僕の病気にある。だから僕は治療・リハビリ・訓練を受け、一般的な生活を送ることができるように頑張っていきたい」と考えています。

もしも僕が社会モデルの考え方、つまり「僕が一般的な生活を送るのが難しくなっているのは、社会の在り方が僕に適応していないからだ」と口にしたとしたら……僕は自分をものすごく図々しい人間と感じます。いや、「自分が図々しいことを口にしている」と考えることもなくこのような言葉を口することこそが「図々しい」ということなのでは、という気がします。

だからといって僕は社会モデルの考え方を否定する気は微塵もありません。それどころかとてもありがたい考え方だと思っています。僕は、社会が障害者に対して「障害者が生活しやすい環境にしていこう」と考えてくれることを本当にありがたく思っています。

6.おわりにもう一度。「障害は個性」なのか?

ある意味で「障害は個性である」と言っていいと思います。そして、社会が「障害は障害などではなく、個性である」と言ってくれるのであれば、こちらはそれを否定的にではなく感謝の気持ちを持って受け取りたいと思います。

しかし、やはり「障害は障害(邪魔なこと、不利なこと)」であることは事実です。なぜなら、そのせいで紛れもなく「生きていくうえで不便を感じているから」です。

「医学モデル」と「社会モデル」の考え方はどちらも正しいと思います。そしてこの二つの考え方は、この世の中でしっかりと均衡を保つべき、わずかな乱れもなくしっかりとつり合いを保っているべきだと思います。それが障害者と社会、お互いがお互いを思いやることになると思うからです。

精神障害者である僕はこう考えています。「障害者は社会に適応できるように頑張ろう。だって、社会はわれわれ障害者のために『住みよい環境をつくろう!』としてくれているのだから」

 

参考

障害を「理解する」とは何か?――生き方の問題としての問い直し――(PDFファイル)

障害者白書―内閣府

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