クラムボンの正体は? 宮沢賢治の童話『やまなし』に出てくる謎の物体、『クラムボン』に迫る!

この記事は約 7 分で読むことができます。

 

こんにちは。TAMAOです。

宮沢賢治の『やまなし』というお話、多くの方が小学校の国語の授業で読んだことがあると思います。そして多くの方が、いやほとんどの方が「クラムボンって何や!?」と思われたのではないでしょうか。

なぜか今日は突然、「僕が考える『クラムボン』の正体」を発表したいと思います。

ちなみに『やまなし』はインターネット図書館【青空文庫】で全文読めます。

宮沢賢治『やまなし』青空文庫

はじめに

『やまなし』の冒頭にはこんな一文があります。

「小さな谷川の底を写した二枚の青い幻燈です。」

幻燈とは、現在でいうスライド映写機、プロジェクターのことです。

冒頭でこの言葉を述べているのは、「このお話は、(私の頭に浮かんだ)とある谷川の底の光景(映像)です」ということだと思います。

クラムボンの正体は?

「クラムボンは笑ったよ。」

「クラムボンはかぷかぷ笑ったよ。」

「クラムボンは跳ねて笑ったよ。」

「クラムボンはかぷかぷ笑ったよ。」

さあ、「クラムボン」です。「クラムボン」とはいったい何なのか。

クラムボンについては実に様々な見解があります。

説」「説」「プランクトン説」「川を覗く人間の顔説」「陸上の生き物説」――などなど。他にもあるかもしれません。

多くの人、国語の授業で読んだ子供の多くは、まず「泡なのでは?」と思うそうですね。

そして僕も「泡説」を支持しています。その理由を説明する前に――

まず他の説についての見解、ネットで見つけた「なるほど、そうとも読み取れるな」という見解を紹介したいと思います。

①光説

国語の授業で子供達が「泡」の次に多く答えるのがこの「光」なんだそうです。

たしかに光は水中で分散し、キラキラして、それはかぷかぷ笑っているように見えるでしょうね。

また魚が来るとそれが「死んでしまった」、これは魚が水をかき回して光がぐちゃぐちゃになったという見方ができますね!

②プランクトン説

この説を支持する人は、『やまなし』を「食物連鎖を語ったお話」と捉えているようです。

魚がやってきたときに、蟹の兄弟が「クラムボンは死んだよ。」「クラムボンは殺されたよ。」と言うところから、「クラムボンとはプランクトンで、魚に食べられてしまった」というものです。そして、かわせみ(次に書きますが、これを「かわせみ」ではなく「人間」と捉える見解もあります)が川に飛び込んできたとたん、今度は魚が「上へのぼっていった」というところを見ると、なるほど! たしかに「食物連鎖」を描いたと読み取ることもできますね。

③川を覗く人間の顔説

蟹の兄弟が魚を見ていると、上から「青びかりのまるでぎらぎらする鉄砲弾のようなものが、いきなり飛込んできて」、お魚をさらっていってしまいます。兄さんの蟹はこのとき、「はっきりとその青いもののさきがコンパスのように黒く尖っているのも見ました」。それからお父さんの蟹がやってきて、ふるえている兄弟に「そいつは鳥だよ。かわせみと云うんだ。」と教えます。

『川を覗く人間の顔説』を支持する人はここで「待った!」をかけるようです。

「蟹たちはあれは『かわせみ』だと考えたけれど、ちがう。父さんの蟹は子供達に『そいつの目が赤かったかい。』とたずねたが、子供達は『わからない。』と答えた。つまり『かわせみ』である証拠が乏しすぎる。兄さんの蟹は、何かが川に飛び込んできたときに『はっきりとその青いもののさきがコンパスのように黒く尖っている』のを見た。つまりこれは、かわせみではなく、『銛』である。人間が銛で魚を突いたのだ。それで魚は上の方にのぼっていったのだ。そして、そもそも『クラムボン』自体が人間の顔なのである。水中から見上げると、こちらを覗き込む人間の顔は水で歪んで、まるで笑っているように見える。それを言っているのだ、賢治は。そして『クラムボンは死んだよ。』という部分は、『人間がいったんいなくなった』ことを言っている。幼い蟹たちは、いなくなった(見えなくなった)ことを『死んだ』と捉えたのだ」

これが『川を覗く人間の顔説』を支持する人の見解です。なるほど! たしかにそのようにも読み取れますね。

④陸上の生き物説

何らかの生き物が陸から水川に落ちてしまった、それがクラムボンの正体ではないかという見かたもあります。

「それが水面に浮かんでいるときに、蟹の兄弟からは水で歪んで笑っているように見えた」あるいは「水中で息ができなくて、口を開けてあっぷあっぷしている姿が笑っているように見えた」

という見解です。

そして魚がやってきてそれを食べてしまう。文字通り「クラムボンは死んでしまった」となります。なるほど。ありえますね。

 

さて、いろいろな説がありますが、

➄やはり僕は「泡」だと思います。

僕は、「クラムボン」は「泡」だと思います。「かぷかぷ」というのは、泡がたてる「こぽこぽ」「ぷくぷく」という音ですね。

「クラムボンは泡である」説を否定する意見の中に、

「『そのなめらかな天井を、つぶつぶ暗い泡が流れて行きます』『蟹の子供らもぽっぽっぽっとつづけて五六粒つぶ泡を吐きました』という文がある。ここで『泡』と言っているのに、クラムボンが泡だというのはおかしい。それなら全てをクラムボンで統一するか、泡で統一していなければおかしい」

というものがありました。これについて僕の見解を述べさせていただくと、

「そのなめらかな天井を、つぶつぶ暗い泡が流れて行きます」「蟹の子供らもぽっぽっぽっとつづけて五六粒つぶ泡を吐きました」という文は、蟹の兄弟の言葉ではなく、言ってみればナレーションです。冒頭で『これは幻燈』と宮沢賢治は言っているので、そう捉えておかしいところは何もありません。

魚が来たときに「クラムボンは死んでしまった」というのは、平和にかぷかぷ笑っていた泡を、魚がかき回して割ってしまった、または蟹の兄弟が魚に気をとられてしまい、泡が目に入らなくなってしまったのだと思います。それを、幼い蟹たちは「魚が来て、クラムボン(泡)は死んでしまった」ととってしまったのだと思います。宮沢賢治は童話作家であり、子供や生き物の目線になって書いたであろう作品を多く遺しています。小さな生き物である蟹、しかも幼い蟹であれば、「視界から消えた=死んだ」のような極端な捉え方をするのもおかしいことではないし、むしろ面白い捉え方といえると思います。

魚が向こうへ行ってしまうと蟹の兄弟はまた「クラムボンは笑ったよ」と言いはじめますが、これは魚がいなくなって再び泡が平和にかぷかぷ笑うようになったので、また泡を楽しく眺めだして口にした言葉だと思います。

おわりに

さて、この『やまなし』というお話にはクラムボンの他にもいくつかの考察ポイントがあります。

「二部構成になっているが、なぜ五月と十二月なのか?」「どこやねん、『イサド』って?」「強烈なインパクトのあるクラムボンば差し置いて、なんで『やまなし』っていう梨ばタイトルにしたっちゃか!?」

それらについても僕は僕なりの見解を持っていますが、とりあえず今回は、『謎の物体(生物?)、クラムボン』について、僕なりの見解を述べさせていただきました。

 

子どもの頃に読んだお話がいつまでも心に残り、大人になってから「あのお話はどういう意味だったのだろう?」と考えさせてくれる、これが童話のあるべき姿だと思います。宮沢賢治は、本当に偉大な童話作家だと思います。

 

このエントリーをはてなブックマークに追加

TAMAOの絵本 アマチュア童話作家TAMAOの作品紹介

2018.10.26

【AKARIの新しい取り組み】
あなたの声をAKARIにしよう!

小さい声だと届かない思いを、AKARIを使って社会に発信しませんか?

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です