人に対してイライラしないようになりたい!

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こんにちは。TAMAOです。初詣のおみくじで大吉を引きました。なんと今年の僕は、することなすこと全て上手くいくそうです。

そこで、今年は人にやさしい人間になりたいと願をかけました。

まずは「人に対してイライラしないようになりたい」と思っています。大吉のおみくじパワーできっと叶うことでしょう。

人に対して、じれったさを感じたら

僕はかつて、ものすごくテキパキした人間でした。そのときの僕は、誰かの要領の悪い行動を見るとすごくイライラしていました。「なんでこのようにできないんだ?」「こうすればいいじゃないか。なんでそれができないんだ?」、そんなじれったさを感じていたのです。

心の病気を患ってからというもの、僕は人に対して寛容になったと思います、というか、なりました。僕はパニック障害を患ってから、テキパキが苦手、というか不可能になりました。物事をテキパキと要領よくやろうとすると頭が混乱してパニックを起こすようになったのです。こうなってからはじめて、「要領の悪い人というのは『要領よく動くことが苦手』なんだ」ということがわかったのです。

僕はバス通勤をしていますが、乗客にはいろんな人がいます。実にいろんな人がいます。たとえば、降りるバス停に着き、料金を支払うそのときになって初めて財布をバッグから出し、すごく時間がかかる人。以前の僕であれば、そんな人を見たら、心の中で「あのさあ、自分がどこで降りるかなんてわかっているだろう? バス停が近づいてきたら予め料金の準備をしておくくらい、できるだろう?」なんて毒づいたりしていました。また、コンビニなどでレジに並んでいるときに、前の人が会計にすごく時間がかかっていると、やはりじれったさを感じていました。僕は買い物をするとき、頭の中で「これはいくら。これはいくら。だから会計はだいたいこれくらいだな」と計算し、レジに並ぶときにはすぐにその金額を出せるように予め用意しておくので、それをしないでレジでのろのろもたもたしている人に対して「あのさあ、コンビニ程度の買い物でなんでもっと要領よくできないわけ?」なんてイライラしていたのです。

でもそういう人って、べつにわざとそうしているわけではないんですよね。要領よく物事を行うことが苦手なだけなんですよね。苦手な人に向かって「もっとこうしろ」というのは酷な話だと思います。

でも、やっぱりイライラしてしまうときはありますよね。そんなときは。

いつも心にウサイン・ボルトを

もし僕がウサイン・ボルトから「ヘイ、ユー。100mを9秒台で走りなYo!」と言われたら、「そんなの無理だよ!」と言い返します。間違いなくそう言い返しますよ。だって無理ですもの。そこにボルトが「なぜだい、ユー? 100mを9秒台で走るなんて常識じゃないかYo!」なんて言ってきたら、僕は「あなたには常識かもしれないけど、僕にとっては、それは常識じゃないんだYo!」と言い返します。

これなんですよね。

自分にとって「常識」「できること」であっても、人にとってはそうではないことが世の中にはたくさんあるんですよね。それに対してイライラすることは間違いだと思うのです。

人に対してじれったさを感じたら、僕はウサイン・ボルトを思い出すようにしています。いつも心にウサイン・ボルトを!

『自分のルール』に反する人に対してイライラしたら

おそらく全ての人が、知らず知らずのうちに『自分のルール』、自分だけの行動のルールを作っています。そしてこれに反する人に対してイライラするのです。

たとえば僕の『自分のルール』は――

職場など、人が集まっている場所の場合、

・室内では、ドアの開け閉めは静かに行う

・くしゃみ、咳払いなどは、最低限の音量で

・笑うときの声もできるだけ小さく(突然の、空気を切り裂くような大笑いは厳禁)

などがあります。

どうやら僕は「音」に対して敏感なんですね。それが原因で「自分がたてる物音で誰かに迷惑に思われたくない」という思いが生じ、自分にこのようなルールを設けているのだと思います。そして勝手に設定した自分のルールに反する人に対して、勝手にイラついているのだと思います。

これに対処するために考えたことは、

自分も、人のルールに反しているかもしれないと考える

です。

僕が職場であまりに物音をたてないように行動しているのを見て、人によっては「なんだ、あいつ? 忍者にでもなったつもりか? 見ててイライラする!」と感じることがあるのかもしれません。つまり、お互い様ということです。人間は存在感を完全にゼロにすることなんてできやしないのですから、その行動が他人の目に完全に入らないようにすることは不可能です。だから、人に対してイライラしたときは、「自分ももしかしたら人にイライラさせているかもしれない」と考え、「お互い様、お互い様。お互い、目をつぶることにしましょう」と考えるようにします。とはいえ――僕もまだその域まで到達していないんですけどね。まだまだ修行中の身です。

人の言動にイライラしたら

「やたらと自慢話をする」「いちいちカッコつけた仕草をする」「ぶりっ子」。そんな誰かを見るとイライラする人は多いと思います。でも一方でそんな人を見ても何とも思わない人もいます。そのちがいはいったい何でしょうか。

プライドの高さが原因なのでは?

人の言動にイライラしてしまう人とは、プライドが高い人ではないでしょうか。それもものすごく。「やたらと自慢話をする」「いちいちカッコつけた仕草をする」「ぶりっ子」、そんな誰かを見てイライラしてしまう人は、もしもそんな誰かがそれで人気者になっていたりしたら、イライラが頂点に達するのではないでしょうか。でも、もしもそんな誰かがそれでみんなから嫌われたりしていたら、逆に安心したり、「ざまあみろ」と思うのではないでしょうか。

これはズバリ、妬みです。そして妬みは、必要以上のプライドの高さから生まれていると思います。

「プライド」という言葉は、基本的には「自尊心」と同じ意味で「自分の存在に誇りを持つ」ことです。しかし現在、「自尊心」という言葉は「自分の心の中から自然に沸き起こるもの」であることに対し、「プライド」のほうは「自分と他人を比べることによって自信(誇り)を保つ」という意味になってきています。これを踏まえると、やはり「妬み」という感情は必要以上のプライドの高さからきていると考えて間違いないと思います。そして、「やたらと自慢話をする」「いちいちカッコつけた仕草をする」「ぶりっ子」、他にもあると思いますが、このような誰かを見てイライラする人とイライラしない人のちがいは、プライドの高さにあると考えて間違いないでしょう。では、その必要以上に高いプライドを、もうちょっと低くするにはどうすればいいでしょうか。

有吉弘行氏の名言

有吉氏が素晴らしいことを言っていました。

・「薄々気づいていたけど、優秀な人間と一緒だとサボっちゃう癖があるな~。ポンコツ同士で一緒に汗かいているのが(自分には)お似合いだな」

・「もともと『自分なんて無い』と思ってますから。本当に、『自分』なんてあるのかな? 無いんじゃないかな」

・「全てを(人に)委ねろ。なぜなら自分には実力なんて無いんだから」

・「『イケメン』のことは、『生意気なツラしやがって! 顔以外はゴミだな』って呼ぶことにしました」

・「嘘ばっかりついていると、自分でも何が本当だったか忘れちゃうな」

・「自分の人生設計を低く見積もることで、上手くいっていないときでもモチベーションを保てるようにしている」

・「人の顔色がすべて」

・「コミュニケーション? 犬にでも食わせろ」

素晴らしいですね、このマイナス方向の名言の数々! ふつう、名言というのは心をプラス方向に持っていくものが多いですが、有吉氏の言葉はプライドを低くしていく、マイナスの方向に向いています。実に素晴らしいですね。人に対してイライラしなくなるためにぜひとも憶えておきたいと思います。

 

名言を見聞きして、すぐに身に付けたり、実行することは難しいと思います。でも、心のどこかに常にそれを置いておき、ふとしたときに思い出すことができれば、すごく頼りになると思います。そして、そのような生活を続けていくうちに、気がついたら身についていた、そんなことがきっとあると思います。

 

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ABOUTこの記事をかいた人

パニック障害歴9年、うつ病歴5年。いつも元気にパニクったり落ち込んだりしています。 愉快なパニック体験談、うつ病との飽くなき闘いを発信していきたいと思います。