要領が悪くてもいいじゃない

僕は長く飲食店で働いてきました。

19歳の頃、初めて働いたお店で、そこでの上司を初めて人間として尊敬しました。その人に教わったことがこれでした。

 

「仕事とは要領だ」

 

初めての仕事で、初めて尊敬した人に言われたこの言葉は、僕にとって格言となりました。

仕事は要領。

あれをしている間にこれを済ませてしまう。あれをしながらこれができる。要領のいい人間こそデキル人間だ。僕は「要領」という言葉を胸に刻み、仕事に励みました。

 

やがて仕事で認められるようになり、僕は自信を持ちはじめました。僕はパスタのソースを作りながら同時にサラダを作ることができる。僕は3つのフライパンを同時に扱うことができる。厨房業務だけじゃなく、ホールに出ても、たくさんのお客さんの注文を同時にさばくことができる。カウンターに立てば何種類ものカクテルを同時進行で作ることができる。

僕は晴れて「要領のいい人」になりました。素晴らしい気分でした。要領のいい人間、「デキル人間」になったのですから。

 

要領の良さは私生活にも活かされるようになりました。

家でもお店にいるとき同様、食事をテキパキ作る。掃除もテキパキ。洗濯もテキパキ。家事においても「あれをしている間にこれを済ませてしまう。あれをしながらこれができる」です。僕はデキル人間ですからね、当然です。

 

いくつかのお店で働き、東京・恵比寿のとある会社が経営するお店で店長(いわゆる“雇われ店長”ですが)を任されました。そこでも僕の要領の良さは冴えわたりました。あれもテキパキ、これもテキパキ。売り上げも順調で、仕事にやり甲斐を感じ、充実した日々を送っていました。

 

いつくらいからでしょうか、会社の上司との間に軋轢が生じました。

原因は考え方の違いでした。僕の素晴らしい要領の良さ、デキル人間である僕の華麗なテキパキぶりで売り上げは順調だったにもかかわらず、現場も見ずに「これこれこうするべきだと思う」「これこれこういう方針でいこうと思う」と口を出されるようになりました。おそらく世の多くの雇われ店長が抱えるであろうジレンマを、僕も抱えるようになりました。

 

一度生じたジレンマはなかなか消えるものではありません。それどころか日に日に大きく、重くなっていくのが普通だと思います。そしてこれこそがストレスの正体です。

 

一年半ほど経った頃、自分の様子が何やらおかしいことに気づきました。要領良く「あれをしている間にこれを」をやろうとすると、頭が混乱するようになったのです。

一度「おかしい」と感じてからは、坂道を転がる勢いでした。一度に二つ以上のことをしようとすると必ず頭が混乱し、それはやがてパニックと呼べるものになってきました。過呼吸になり、二つどころか一つすらできないようになりました。

ちょうどその頃、毎月のようの手にしていた報奨金「売り上げ目標達成手当て」が、ちゃんと目標を達成していたにもかかわらず給料に入っていないということがありました。日頃のストレス、そこにきてこの仕打ち。これに怒りを爆発させ、会社を辞めました。

そしてどうやらそのとき、僕の心の中の「ストレスを溜めるバケツ」はすでに決壊していたようです。僕は会社から「売り上げ目標達成手当て」をもらう代わりに「パニック障害」をもらうことができたのでした。

 

いやあ、パニック障害は本当に大変です。僕の場合、例の「常に要領良くあるべし」という考えが重荷になりました。要領良く何かをこなすことができないとパニックが出るようになったのです。例えば、キッチンで食器を洗い、部屋に戻るとテーブルの上に使用済みのマグカップがあった、それだけでパニック発作が出るようになりました。僕の中の鉄の掟「常に要領良く! 洗い物は一回で全て済ませるべし!」に背いたためです。

また、洗い終わった洗濯物を洗濯機から一度に全て取り出せなかった、それでもパニックになりました。鉄の掟「常に要領良く! 洗濯物は一回で全て運ぶべし!」に背いたためです。

 

心療内科に通院、薬を服用するようになって現在5年。2年目あたりからパニック発作の回数が減りはじめました。驚きだったのは、鉄の掟に背いたときですらパニクらなくなったことです。

こんなことがありました。買ってきたばかりのコーヒーの袋をハサミで開けた瞬間、手が滑ってボトッ! 粉が床にザザー! これは鉄の掟「常に要領良く! 余計な仕事を増やさない!」に完全に背いたことになります。それなのにパニクるどころか、ぼくの口から出た言葉は「なんやそれ!」でした。自分にツッコんだのです! パニックではなく!

これには驚いたと同時にすごく嬉しくなりました。「僕はまともになってきてる!」

 

いまはもう、「常に要領良く!」の考えは完全に捨て去りました。のんびり、マイペースに。

 

「要領が悪くてもいいじゃない」

 

これがいまのぼくの掟です。

 

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ABOUTこの記事をかいた人

パニック障害歴9年、うつ病歴5年。いつも元気にパニクったり落ち込んだりしています。 愉快なパニック体験談、うつ病との飽くなき闘いを発信していきたいと思います。