3歳でてんかんになりました:第6話~TANOSHIKA~

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第1回 3歳でてんかんになりました

第2回 3歳でてんかんになりました~20歳の成人式~

第3回 3歳でてんかんになりました~分からなくなった~

第4回 3歳でてんかんになりました~入院生活~

第5回 3歳でてんかんになりました~退院と生活~

 

今、わたしが思っている、考えていることは一緒に住んでいる家族の誰にも相談しようとは思いませんでした。

この踏み出した一歩のことを家族に話したのは、ここTANOSHIKAに出勤する前日でした。もう26歳だし、自分のことは自分で決めて行動しよう!と一人で家の近くの相談支援センター(※1)へ相談しに行きました。その支援センターへ行ったのは実は2度目でした。1度目は退院してすぐのことでした。退院後の時は、何年も仕事をしていなかった分仕事をやっていける自信も少なく、その時点で家を出てひとり暮らしを出来る自信も少なく、まだ家に頼って生きていくしかなかったんです。

 

でも今回は家から出てひとり暮らしをしていきたい気持ちが勝ったんです。

何回も相談支援センターに通い、何件もA型事業所(※2)B型事業所(※3)を見学し、時には体験を支援員さんにも同行してもらい真剣に悩みました。こんなにも自分の将来について考え、自分の病気のことを考えて「仕事」について考えたのは初めてなんじゃないかと思います。

働くからには、やっぱり給料が高いに越した事はないと思うので、給料が高くて立ちっぱなしの少し時間の長い調理の仕事がいいのか、体験もして悩みました。昔だったらすぐにこの仕事にしよう!と決めていたと思います。

でも、今回はそうじゃなかったんです。一番に自分の身体のことを考えました。てんかん発作の恐いところは、意識を失うこともですが失ったと同時に強直したまま激しく倒れるので、物にぶつかったり、熱いものに触って火傷するという事故も多いと言われているくらい意識を失った後のことを考えなきゃいけないんです。案の定、主治医に相談したら調理は避けてね、と言われました。

そう言われながら最後に見学に来たのがTANOSHIKAでした。そのときの印象は、利用者さん(メンバーさん)が笑顔で、良い意味で大きい声だなと思いました。それに、メンバーさんと支援員さんとの距離が近く和気あいあいと話している雰囲気が、家に帰ってからも頭に残っていました。そして私と近い年齢の人が多かったことも居やすいのかな?と思いました。最後に決め手となったのは、私のてんかん発作の対処・対応には身体を横にすることが必要になっていたので横になれる簡易ベッドがあることと、いつでも気分が悪いと思った時は言ってね。という言葉でした。

 

今までずっと心の中で思っていた「仕事中に発作が起きてしまったらどうしよう」という心配が無く仕事をできる気がして、初めての出勤日は何があるんだろう、と少しワクワクしていました。

こうして仕事をする恐さから少し抜け出すことができました。でもTANOSHIKAだからそう思える気がしました。そして、毎日TANOSHIKAに居る時間だけが本当の自分でいれると思っています。

 

(※1)相談支援センター

障害者のある人が自立した日常生活又は社会生活を営むことができるよう身近な市町村を中心として、地域の状況に応じて柔軟な事業形態をとり支援をしてくれる場所

 

(※2)A型事業所

障害者就労継続支援事業の一種で、通常の事業所に雇用されることが困難で、雇用契約に基づく就労が可能な方に対して行う、雇用契約を結び給料をもらいながら利用するもので、雇用契約に基づきながら一般就労を目指します。利用者には最低賃金以上が支払われます。

 

(※3)B型事業所

障害者就労継続支援事業の一種で、通常の事業所に雇用されることが困難で、雇用契約に基づく就労が困難な方が通所して授産的な活動を行い工賃をもらいながら利用するもので、利用者は就労の機会を得てA型・一般就労を目指します。利用者は授産施設平均工賃が支払われます。

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