3歳でてんかんになりました:第3話~分からなくなった~

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第1回 3歳でてんかんになりましただ:第一話

第2回 3歳でてんかんになりました:第二話~20歳の成人式~

 

母親からの言葉の「大学生が卒業する年の22歳までは何も考えないでゆっくりしていいからね」という22歳になりました。この頃は家の家事をして、毎日家族分の食事を、今までしたことの無かった料理を独学で作っては、家族に「おいしい」と言われ主婦のように家のことをしていました。

仕事をして追われた生活と言う訳でもなく、どちらかというとゆっくり自分のペースで過ごしていたと思うのですが、てんかんの発作は定期的に起こっていました。

てんかん発作は基本的に薬でコントロールするとされているのですが、私の場合は薬の調整で一時は1日の薬が20錠以上になったりと、なかなか体調が安定することはありませんでした。

 

22歳を過ぎても仕事が出来るとは思えずにいたある日、姉から言われました。「いつまで家に居るの、そろそろ仕事したら」その言葉は冷たく、私を焦らせました。

その日から毎日家に居る事に申し訳なさを感じ、居心地が悪くなりました。その影響はすぐに体に現れました。てんかん発作の頻度が多くなりました。意識を失う発作に私自身打ち傷やたんこぶなどと外傷もあり精神的にも疲れていました。発作のたびに「また?」と嫌そうな顔をする家族に毎日泣きたくなるのをぐっと我慢しました。

家族と顔を合わせることも苦痛になり、ごはんもリビングで一緒に食べたくなくなり自分で買ってきたご飯を自分の部屋で一人で食べるようになりました。また、家族とは1日で一言も話さないという日もありました。

我慢できない時はお風呂と自分の部屋で泣きました。

姉から言われた日から2年ほど経った24歳の時、その我慢にも限界が来ました。

何もしなくても涙が出てきました。いつの間にかボーっとしていたと思えば、涙が溢れて止まりませんでした。

それからは毎日「私は何で生きてるんだろう」「死んだほうが楽かな」と思うようになり、生きていることに疲れていまいた。そんな私に気づいたのは主治医の先生でした。今まで病院を受診する時はいつも母親と一緒だったのを私一人で先生と1対1で話を聞いてくれました。

その時は少し鬱の症状が出ていたようで先生に「すぐ家族と離れた方がいいね」と言われました。その言葉に小さい光が見えた気がしました。それと同時に身体が軽くなった気もしました。考える時間もなく、私は先生に「すぐ入院して離れたいです」と入院することを希望し、入院生活が始まることとなりました。

次回は入院生活を書きたいと思います。

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