大相撲の女人禁制について考える 大相撲の「女人禁制」は妥当か

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1.はじめに

 2018年4月、京都府舞鶴市の大相撲の巡業で、挨拶に立った市長が倒れ、救命のために土俵に上がった女性に対し、「女性の方は土俵から降りてください」と若手行事がアナウンスし、論議を生みました。また日本相撲協会は春巡業から、力士が子どもに稽古をつける「ちびっこ相撲」への女子児童の参加も拒んでいます。

 相撲界がこういった「女人禁制」の態度を貫くのは、相撲文化と深く結ぶつく神道において、女性が「穢れ」た存在であるとしているためです。月経、出産に関する「血」がイメージとして穢れの対象となるです。

 ですが、「伝統」として相撲と女人禁制が結びつくかは、どうも疑わしいです。たとえば、北海道教育大学紀要『相撲における「女人禁制の伝統」について』という論文では、女性と相撲とは古来より密接な関係を保っていたことを明らかにし、「女人禁制」のしきたりが、明治以降、強調されてきたことを指摘しています。

2.相撲と女性

 たとえば、日本の文献に初めて「相撲」という言葉が登場したのは、日本書紀の雄略天皇に関する記述です。そこには、雄略天皇が采女(うぬめ)を呼んで、采女がその場で服を脱いで、相撲を取ったという記述があります。采女とは、天皇や皇后のそばで食事など身の回りのことを行う女官のことを指します。最古の記録にある相撲から、女性に関する記載があるのです。

 室町時代には、勧進相撲という寄付集めの相撲において、女性の僧侶(比丘尼)が相撲をとっていた記述があり、江戸時代には、女性が裸にまわしをつけて頻繁に女相撲をとっていした。この女相撲は、昭和の時代まで続いていました。

3.明治期の近代化政策の結果、女人禁制が進められていった

 このような相撲ですが、明治期にターニングポイントを迎えます。近代化政策によって明治当初は、相撲は野蛮な風俗として排斥されそうになりましたが、相撲界はこれを危機と捉え、自らを「権威付け」するために神道や仏教を取り込み、その過程で、「女人禁制」のしきたりが持ち込まれたのです。要するに、「相撲界の女人禁制」が伝統かどうかは疑問の余地があります。

4.相撲の近代化政策

 相撲界は、しかし、自らの都合により、その伝統を改めてきました。1928年にNHKラジオ中継が始まるのに合わせて、取組前の仕切りの「時間制限」が導入されます。1952年秋場所からはテレビ中継に合わせて、土俵の四隅の柱が撤去され、屋根が吊り上げ方式に改められます。

 都合よく変革を行ってきた相撲界ですが、その相撲界が最後にどうしても残しておきたい「砦」が、今回の女人禁制であると、私は見ています。

5.「伝統」とは何か

 しかしです。そもそも伝統とは何のでしょうか。社会学では、「伝統とは平時では見過ごされるが、緊急時に顕著にその存在が強調される」と分析しています。そう、相撲界はまさに緊急時なのです。相次ぐ不祥事によって、相撲界は今、まさに危機に陥っているのです。相撲が本当に伝統であるなら、そもそもテレビ中継も、外国人力士も存在しないはずです。私は、「相撲は伝統である」ということさえ、疑ってよいとも思います。

 相撲はもはや伝統といった言葉では片づけられません。相撲界は「近代国家」である日本政府からの「公益認定」を受けることによって税制上の優遇措置が図られ、「決算のご報告」によると、収入100億円超に対して、法人税をわずか15万円ほどしか支払っていません。

 すべての伝統が肯定されるわけではありません。つい近年も、私たちは、イスラム諸国の文化・風土を「原理主義」であるとしてレッテル貼りをしてきました。日本でさえ、明治には近代化政策に明け暮れていました。すべてのものは絶えず変革され、再構成されているのです。

 「本当に伝統あるものなど、存在しない」。これが私の結論です。

  参考

 吉崎洋司・稲野一彦(2008)『相撲における「女人禁制の伝統」について』北海道教育大学学術リポジトリ

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