うつ病の追憶#7「あの日あの時そして今_高校生編後編」

この記事は約 4 分で読むことができます。

うつ病の追憶#6「あの日あの時そして今_高校生編前編」

2018.01.30

 

高校生活。停学中を除いては、教室では、はじめは寝てばかりでした。

一回目の停学が終わって、教室に戻れるようになって、同じクラスに、登下校を一緒にする友達ができました。

彼女は、とても、美人で可愛くクラスでも人気者で、お金持ちで、もてて、地元でも顔が広く、一緒に駅で、たむろしていた私には、とても新鮮で、あっという間に、いろんな高校の友達ができました。

でも、そんな楽しい毎日も一年生の時だけで、二年生になって、クラス替えで離れ離れになってしまったら、私は、彼女に近づけなくなってしまいました。

彼女は、新しいクラスでも、人気者で、みんなが彼女と友達になりたがって、いつも周囲には、人が集まって、いつしか彼女の取り巻きができて、私は、目を合わすこともできなくなりました。その取り巻きに遠ざかれました。

遠ざかれてからは、私は、高校生活においても、孤独になってしまい、登下校も一人。学校に行って帰るだけの、つまらない毎日となりました。

それからというもの、私は、暴力的な妄想をするようになりました。小学校からの悪縁、陰湿な人からの嫌がらせにイライラして、いつかボコボコにして殺したい。そんなことばかり考えてました。日に日に、高校生活は暗くなり、次第に、死にたいとも考えるようになりました。

毎朝、通学の時、電車のホームで、線路をじっと見つめては、次に、電車が来たら、その電車に飛び込もう。今日こそ、飛び込もう。でも、いや、待てよ。今日は、いい日かも知れない。明日にしようかとか毎朝、そんなことばかり考えては、結局、勇気がなくて、いつまでたっても、飛び込めずじまい。あの日、提出した日付なしの退学届けが余計に、私を追い詰めました。

先生達からは、他の生徒達以上に、目を光らせられて、ドキドキしてました。でも、タバコは、相変わらず、こっそり吸ってました。だから、余計、ドキドキでした。クラスでは、気の合わない、おとなしい真面目な人たちと、一緒に行動しました。

修学旅行は、東京ディズニーランドとワシントン、ニューヨーク。当時、外国に、特に、アメリカ、ニューヨークに憧れをもっていた私は、行くのが楽しみで、実際、そこに着くと感動しました。キラキラ輝いて見えました。

そして、うちでは、一年生二年生までは、よかったけど三年生の進路を決める時期。家庭が崩壊しました。今度の原因は、父でした。

私は、勉強するのが楽しくなってきてた頃で、偏差値こそ低かったけど、進学希望でした。予定では、短大か専門学校に通って、英語を本格的に学びたかったのです。両親もそれを了承してくれてて、ますます、勉強に力を入れていた矢先でした。

まずは、短大の校内推薦を受けるための最後の偏差値を上げるチャンスの一学期の期末試験。試験日当日、その日、雨が降りました。父は、珍しく私を駅まで車で送ってくれて、頑張ってこいと言って、送り出してくれました。言葉通り、初日はまずまずの出足。

しかし、その日の夜から、父は、家に帰って来なくなってしまいました。失踪です。

夜遅くまで、勉強してた私も、父の帰りを待つ母も、なんだか嫌な予感がして、それがそのまま朝になり母と二人落胆しました。私は、試験に集中できなくなって、またかと、やる気をすっかりなくしてしまい、その後の試験は、ボロボロでした。

そして、夢に描いていた進学のことも、あきらめざるを得なくなってしまい、渋々、進路を就職に変更しました。父は、相変わらず秋になっても帰ってこなくて、帰ってきたのは、七年後。

うちの中は、母と二人だけになり、金銭的にも苦しくなり、市役所に相談して、私が卒業するまでという条件で、生活保護を受けました。そして、母と二人、小さなアパートに引っ越しました。高校は、なんとか卒業できました。就職先は、学校では、決めず、市役所の紹介でした。

私は、卒業式を待たずに働きだし、後に、大きな転機を迎えました。新しい出発でした。

天職にも、出会いました。あとは、成功と失敗。挫折の繰り返し。今度は、それをお話しします。

 

うつ病の追憶#8「あの日あの時そして今_社会人編」

2018.02.05

うつ病viviの気持ちや体験談がわかるおすすめ記事12選!

2018.10.25

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

ABOUTこの記事をかいた人

うつ病と闘うアラフィフ。おまけに、腰部脊柱管狭窄症!踏んだり蹴ったり。のんびり穏やかに毎日を送っていきたいと思ってます。個人のブログサイト始めました。(閲覧は↓のwebsiteをクリック)