うつ病viviの追憶#3「あの日あの時そして今_小学校中学年編」

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うつ病viviの追憶#2「あの日あの時そして今_小学校低学年編」

2018.01.09

 

前にも、話しましたが、私は、小学校を二回転校しています。一回目は、三年生の時。二回目は五年生の時。三年生の時は、転入早々、軽い喧嘩をして、掃除用具をこわして怒られてました。それから、一年間は、あまり、担任にかまってもらえず、寂しい一年間でした。多分、転入してきた理由が、家庭の事情だったので、関わりたくなかったのでしょう。

四年生になって、担任が替わりました。今度は、よく、気にかけてもらい、まめに、かまってもらえるようになりました。

うちでは、初めは、家族と言っても母親と私だけ。あとは、母方の祖母と従弟二人。母親は、幼稚園教諭をしていたので、朝も早く帰りも遅く、なかなか、甘えられませんでした。代わりに、一人の従弟のお兄ちゃんだけが、勉強を教えてくれたりして、かまってくれました。

四年生になると、父親と姉も、一緒に住むようになりました。そして、姉からは、今まで相手にもしてもらえなかったのに、その年の冬ごろから、急に、姉の部屋に入れてもらえたり、一緒にお風呂に入ってくれたりするようになりました。それまで、低学年の時から、ずっと、一人だったので、新鮮で嬉しかった。私にも、お姉ちゃんが、いたんだという感じで,少しだけ距離が縮みました。

それまで、何度も見てた夢があります。家族四人で、林の中をドライブしていたら、突き当りに、一軒の家があり、そこへ、私一人、車に残されて、いつまでも,戻ってこないという内容。

そして、ある時期からは、この夢の続きを見るようになりました。

待ちくたびれた私は、そっと、その家の中へ入っていく。すると、奥の方から、賑やかな家族団らんの声。私も混ざりたいと、その部屋に向かおうとするけど、家の中は迷路になっていて、一向にたどり着けないまま、目が覚める。前の精神科の先生に、この事を話したら、夢の続きをみるなんて、あり得ないと言われました。本当のことなのに、ちょっと、むかつきました。

こんな夢をみるようになってからは、突然、ヒステリックに泣き騒いで逃げ回ることは治まりました。担任の先生やお姉ちゃんにも、かまってもらえるようになり、家族も元に戻って、幸せな気がしたのは、この頃だけで、一旦、終わるとは、当時は思いもしなかったし、このあとに、起る悲劇など、幼い私には、当然、想像もできませんでした。おまけに、私が、自殺を考えるようになるなんて、思いもしませんんでした。

五年生に上がる春休み。私たち家族四人は、新たに家族になるため、祖母の家から出ました。新しい出発。次の小学校は、なんだか、とても、冷たい印象で、ランドセルも、その学校の指定のもので、赤いランドセルを背負った私は、浮いていました。

四年生の担任が、あまりにもよかったせいか、今度の担任は冷たく感じました。クラスメイトも、冷たいだけでなく、今までよりも、はるかに,とても、幼稚に見えた。そんな環境の中で、残りの小学校二年間を過ごしました。

クラスメイトは、やっぱり、冷たく陰湿でした。陰口の手紙のやりとり。これは、授業中に回ってきます。

順番を飛ばされると大抵は自分のこと。呼び出しというのもありました。放課後の呼び出し。気にいらない人、嫌われている人を一人、裏山へ呼び出して集団で文句を言う。ほとんどの人は、逆らわないようにする為のギャラリー。

私も、その中の一人。言う人たち決まってた。一緒に行動する仲間。陰湿でした。私は、六年生の冬ごろ、逆らいました。そしたら、一度だけ、いじめの標的にされました。

ある日の朝、登校すると机の引き出しの中に、ゴミを入れられ、ノートに死ねと書かれてました。やった相手は、わかってたから、目の前でやぶりすててやりました。それからは、相手もあきらめたらしく、一旦、中学生になるまで、無視こそされてたものの、何も起きませんでしたが、学校生活は、とても、きつかったです。でも、かけがえのないことが出来たので、とりあえず、乗り越えられました。次回は、そのことを書きます。

 

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うつ病と闘うアラフィフ。おまけに、腰部脊柱管狭窄症!踏んだり蹴ったり。のんびり穏やかに毎日を送っていきたいと思ってます。個人のブログサイト始めました。(閲覧は↓のwebsiteをクリック)