3歳で「てんかん」になりました:第1話

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私が「てんかん」を発症したのは3歳の頃でした。

3歳だった私はその時のことは何一つ覚えていません。私が「てんかん」という病気を持っていることを知ったのは20歳の時でした。

姉も発症した時のことを覚えていて、母親と姉にその時の状況を教えてもらいました。

リビングで姉と遊んでいると、急にソファーから落ちて意識を失い全身けいれんが起きて口から泡をふいていたそうです。熱もありました。

これが大発作でした。

 

直ぐに病院に行きました。血液検査・CT・MRI・脳波の検査をして「てんかん」と診断されました。

この後は大きな発作は起こらず、定期的に病院へ検査をしに行っていました。

この時の私はまだまだ病院に行っているという感覚があまりなく、血液検査も少し我慢すれば大丈夫という、子供にしては我慢強い子だったみたいで、脳波査は眠くなる薬を飲み気づいた時には検査は終わっており、病院の遊べるスペースで遊んで好きなお菓子を買ってもらえる日としか病院の検査日を認識していませんでした。

 

小学校に上がると検査をすることを理解してきました。

学校を休めることは嬉しいと感じ、検査は面倒だなぁと思うようになりました。

検査と併用して薬を毎日服用していました。まだ子供だったので自分で服用する事はできず親に飲ませてもらわなければならないこと、何故私だけ毎日薬を飲まなければならないのか、何故病院で検査しなければならないのか、毎日何故?と思っていました。何回か親に「これって何の薬?」と聞いてみました。けれど親は答えを濁して私の問いにはちゃんと答えてくれませんでした。

そんなこともあり検査と薬の服用は大嫌いになりました。私のそんな思いに答えてくれたかのように、小学6年生の検査日に主治医から「もう薬の服用は止めてみようか。」と言われました。

3歳の発症した時のような大発作は発症後一度も起こっておらず、年々脳波の異常は無くなっていたのです。主治医から言われた言葉はとても嬉しくてなりませんでした。

中学・高校と薬を飲まずに定期検査を受けながら学校生活を友達と一緒に楽しんでいました。しかし、薬を飲まずにすごしていた間にも大発作は起こっていなかったものの、自分でも気づかない小発作は高い頻度で起こっていました。

そして高校3年生のもうすぐ卒業というある日いつもと変わらない朝、学校に登校して自分の席に座りました。その後からの記憶はありません。

気づいたら保健室のベッドに寝ていて、ベッドの横に母親が居ました。目が覚めた時はとても良く寝たというようなスッキリした感じでした。

自分では何が起きているのか全く分からず、今のこの状況が理解出来ないでいました。

先生と母親の会話から「発作」という言葉が聞こえてきました。何か嫌な予感がしました。

その後病院に行き、色んな検査をしました。また薬を飲み始めることになりました。

 

その日を境に「てんかん」の症状が強くなりました。

後で聞いた話によると、学校でイスに座っていたらそのまま意識を失いイスごと倒れ、全身けいれんを起こし、友達の声にも反応しなかったとのことでした。

自分では全く覚えていないし、想像もつきませんでした。その日から自分は何か持病があるんだろう。とだけは分かりました。でも何という名前の病気かは分からないまま過ごすことにしました。てんかんの症状は色々とありました。

毎日のように頭痛がし、身体が怠く感じました。また私の症状で一番酷かったものがありました。「フラッシュバック」でした。フラッシュバックはいつ起きるか分からないものの、私の場合はある場所を見ると必ずと言っていいほどフラッシュバックが起きていました。それは私の家の窓とガラス戸の2つでした。フラッシュバックは自分の意志とは関係無く急に起こりました。何がフラッシュバックしてくるかというと、毎回自分の小さい頃の家族と家の中ですごしている場面でした。

「フラッシュバック」という言葉を知らなかった私は家族に「いつも、あの窓を見ると小さい頃の映像を思い出してくる。」と伝えていました。でも、それをまともに心配してくれることもなく「何言ってるの。」とそれだけでした。私はフラッシュバックが来ると、その後みぞおちが痛いような下から突き上げてくるような気持ち悪さに襲われてモヤモヤするような表現が難しい症状になりました。

そうなると身体を横にして無理にでも寝ました。

イスに座っていてフラッシュバックが起きると、毎回顔を上げていられなくなり、目を閉じたくなっていました。もし、食事をしていたのであれば食べる行動を止め膝を抱え、顔を下げて目を閉じて気持ち悪いのが治まるまでじっと待ちました。

朝フラッシュバックが起こると学校を休むことにしました。なので学校の友達にはたくさん心配させてしまいました。

気持ち悪さがある時は「あの時発作さえ起きなければ」といつも思いました。

そんな日々を過ごしながらもなんとか高校は卒業することが出来ました。

 

てんかんとの闘いはこれからでした。

この続きはまた今度とします。

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