私の今まで ー生きていることの奇跡ー

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<私の今まで>

私は、中学2年生の時にいじめを受けて、朝学校に行こうとすると、腹痛、胃痛などでよく体調を崩すようになりました。

中学3年生になってから、クラス替えにより環境は改善されたものの、腹痛や胃痛などの改善はされませんでした。

高校生になって、いじめといういじめは受けていませんでしたが、見た目のことで陰口を言われるようになり、コソコソ聞こえてくるのが辛くて、いつの間にか周りの話し声も自分が陰口を言われているのだと思い込むようになりました。

話し声がするたびに、私の悪口ではなくても、自分が悪く言われているように聞こえていました。

学校から疲れて帰ってきた後も、悪口が元朝のように聞こえることもありました。

学校に行くのが辛かったので、2週間から3週間学校を休んだりしましたが、ずっと休んでいたらサボリだと思われてしまうのもとても辛かったです。

私はサボってなんかいなかったし、やる気の問題とか気持ちの問題って思われがちでしたが、そんな単純なものではありませんでした。

ただの面倒くさいという感情ではなく、自分でもよくわからないくらい落ち込んで、何事に対しても意欲がなく、普通の状態を取り戻すのが大変でした。

サボりって思われたり、気分屋だと思われていたのは辛かったけれど、高校では私の所属していた学科の先生方がいつも私を気にかけてくださり、先生方の支えがあったので、なんとか卒業することができました。

私がうつ病だとはっきりわかったのは19歳の時です。私は高校卒業後、一般企業に就職をしました。しかし、思った以上に仕事についていくことができず、自信がなくなりました。

仕事を休むようになり、結局辞めてしまいました。

実際に働いたのは1か月ほどでした。

「私って働く能力が無いんだ」と思うようになり、何もかもやる気を失くしてしまいました。

しばらく家に引きこもり、ひたすら寝る日々が続きました。

自分に働く手段はもう無いのかと思っていたころ、主治医からA型事業所で働くのはどうかと提案がありました。

最初は、あまり人と関わりたくないという気持ちが強くて、なかなか一歩前に踏み出せずにいました。

しかし、A型事業所で頑張ってみようかなと思うようになり、働くことに決めました。

TANOSHIKAで働き始めてから半年以上が経ちました。

とても優しい支援員さんと仕事仲間にも恵まれて、安心して仕事をすることが出来ています。

TANOSHIKAでは農作業をしています。

農作業では虫がたくさんいるイメージが強く、私は虫が苦手なので、TANOSHIKAで働き始めたころはどうなるのかと不安でしたが、農作物がこれからどのように育つのか考えてみたり農作物を収穫、調整していくのが楽しみで、とても楽しく作業をすることが出来ました。

農作業をすることは、なかなか機会がないので、仕事として農作業が出来るのはとても貴重な体験だと思います。

これからも、体調などに気をつけながら、自分のペースで仕事を頑張りたいです。

 

<私がうつ状態になった時の過ごし方>

・猫と一緒に過ごす

・好きな音楽を聴いて気分を上げる

・食欲がないときは、とりあえずゼリーなどの喉の通りの良いものや、口に入るものを食べる

・何もしたくないときは寝る(何も考えずに済む)

 

<わたしがうつ状態になって心掛けていること>

・死にたくなっても「~の為に死ぬ必要はないんだ」と自分に言い聞かせて思いとどまる。私はこの方法でなんとか思いとどまることが出来ています。しかし、中には生きたくても、生きるのが辛くて自ら命を絶ってしまわれる方もおられます。とても悲しい現実があることを思い知りました。生きるということはとても難しいけれど、生きるって奇跡だなと思います。だから私は、今生きていることに感謝しながら過ごしています。

・自傷行為をしそうになったら、「痛いのは嫌だ」と考える。

・思いをすべて吐き出す。私は辛くてどうしようもないとき、母親に思いを吐き出しています。我慢をしないで、つらいときは誰かに思いを打ち明けてほしいです。溜め込んでおくよりも、思い切り吐き出した方が気持ちは楽になります。

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