統合失調症でも社会に貢献できる:ノーベル賞受賞者ジョン・ナッシュの紹介

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統合失調症でも社会に貢献できる:ノーベル賞受賞者ジョン・ナッシュの紹介

 今回は、統合失調症を患いながらも社会にすばらしい貢献をした人物の一例を紹介したいと思います。『ビューティフル・マインド』という映画のもとにもなったアメリカ人の数学者、ジョン・ナッシュです。ナッシュは、1994年にノーベル経済学賞を受賞しました。しかし、ナッシュの人生は多難そのものでした。ここでは「統合失調症:岡田尊司著」をもとに綴りたいと思います。

~誇大妄想の症状が強かった~

 ナッシュが統合失調症を発症したのは30歳のときでした。研究者として歩み、教授への昇進が決まりかけていたころでした。ナッシュは、自分には宇宙からのメッセージが聞こえるなどという誇大妄想を呈し、理解しがたいことを口走りはじめました。入院をするも、ナッシュが30歳のときは1958年頃で、インスリンショック療法を受けるも、症状は悪化するばかりでした。

~薬物療法を受けるも再発~

 ナッシュが33歳ころ、入院先で薬物療法を始めました。治療は功を奏して妄想は改善し、再び大学職員の道が開けましたが、やはり再発してしまい、再び入院することになりました。

~闘病ののち研究を再開~

 ナッシュは精神的に不安定な生活を数年にわたって送っていたが、37歳の頃、研究を再開しました。重要な論文を発表することもでき、長い闘病生活を送っていたことを考えると、奇跡的な回復と言えます。この頃には、病前の傲慢な性格は消え、親切で思いやりのある人間になっていました。

~服薬を止め再発~

 一時は回復したナッシュでしたが、また再発してしまいました。原因は、服薬を中断したことでした。その頃のナッシュは、「薬を飲むと、声が聞こえなくなる」と言っていたそうです。妄想がある方が、ナッシュにとっては当たり前だったのです。その後、母親のもとに身を寄せましたが、母が急遽し、妹により州立病院に強制入院させられました。1年ほどで退院しましたが、妹に縁を切る手紙を送るほど、病状はよくありませんでした。

~元妻との同居~

 州立病院を退院したのちナッシュは、元婚約者のもとに身を寄せました。ナッシュは、もともとアリシアという女性と結婚し息子もいました。しかし、ナッシュが発症して間もない32歳のときに離婚していました。アリシア自身もうつ病を患ったことや失業したことなどしており、苦難を辿っているナッシュのことを気にしていました。アリシアはナッシュとの同居を決め、ナッシュをそっと支えました。ナッシュは、近くの大学の校内をうろつき、黒板に意味不明なメッセージを残すという幽霊のような生活を始めました。

~自分の殻をやぶった~

 大学内での幽霊のような生活を長い年月繰り返しました。ナッシュにとって、自由に表現できることが安息だったことと長い時間決まりきった生活を送っていたことで、ナッシュが50歳代の頃には病状が安定し、ついには学生と交流するようになりました。同じタイミングで妄想もなくなり始めました。ナッシュは、妄想を理性的に拒否することが可能になってきたのでした。そして66歳の頃、ノーベル経済学賞を受賞したのでした。

~まとめ~

 この記事は、統合失調症でもノーベル賞を取れる!、という意味で綴ったわけではありません。統合失調症の人でも社会に貢献できることを伝えたい気持ちで綴りました。残念ながら、統合失調症に対しての社会的理解はあまりありません。「幻聴や幻覚が聞こえる異常な人」というイメージが強いです。急性期はしっかり療養することが大事ですが、ある程度回復した人は社会に居場所があった方が安定するともされています。社会が統合失調症への理解を深め、統合失調症を患っても活躍できる場ができることを切に願います。

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ABOUTこの記事をかいた人

30代になりたて、統合失調症&適応障害持ちの、元教職員です。生物学が好きで、TANOSHIKAの仕事でなぜなに生物学を企画したり別に生物サイトを立ち上げたりしています。生物学習サイト「高校生物の学び舎」をはじめました。(↓のwebsiteをクリックで閲覧できます)