三度目の再発からTANOSHIKAに出会うまで

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 統合失調症を再発してからTANOSHIKAに出会うまでのことを簡単に綴りたいと思います。なお、わたしの場合は他の人とは少し異なるかもしれません。

~久留米市生活自立支援センターとの出会い~

 今は実家に住んでいますが、直近の再発のときは一人暮らしをしていました。再発で休職となり、1カ月後には退職することがほぼ確実となった時点で、自身がどう生活をしていいかわからなくなり、インターネットで「久留米市・困窮」で検索、するとWebページには「久留米市生活自立支援センター」がヒットしました。くらしやしごとに困っている人を対象にしているとWebチラシにあり、電話で面談の予約をしました。それが、生活自立支援センターとの出会いでした。

~障害者として生きる~

 自立支援センターでの最初の面談のときは、ヒアリングが中心でした。困っていることをいろいろ聞いてもらい、そのなかでも特に金銭的に困ることを言いました。その時点で実家に帰ることは確定していたのですが、親元だからと言っても金銭的には苦しくなります。ヒアリングののち、短期的目標として実家での療養が、長期的目標として福祉施設での能力向上が挙がりました。当分は実家で休むことになり、2か月ほど療養しておりました。

~福祉施設の見学~

 ある程度回復してきて、主治医から福祉施設の見学の許可をもらいました。そこで、生活自立センターに連絡をし、就労担当職員の方に相談にのってもらいました。選択肢としては、就労移行支援施設、就労継続支援施設B型、就労継続支援施設A型がありました。そのときのからだの調子は今ほどよくなく、能力の向上を図りたかったことから、移行支援とB型施設を見学しました。そのときは、生活自立支援センターの職員さんに同行してもらいました。いくつか見学しましたが、物足りなさを感じ、主治医に相談したところ、A型施設で働くことがよいだろう、とのことでした。施設を見学している期間にも、回復してきていたのでしょう。そこで、A型施設を探すことにしました。

~初めてのTANOSHIKA訪問~

 どんなA型施設があるのかインターネットで調べてもわからなかったので、自立支援センターの職員の方に書類でまとめてもらうことにしました。その間は、ハローワークで検索をしたりしていました。しかし、TANOSHIKAの存在は、実はもともとなんとなく知っていました。TANOSHIKAの前の通りはたまに通るところだったので、外観を知っていたのです。おしゃれなガラス張りの施設に親近感を感じ、思い切って電話して見学に行きました。見学のときはとても心地よかったことを覚えています。施設に入ったときに、利用者の皆さんが大きな声であいさつしてくれました。責任者の方と話したときも、TANOSHIKAの方針と自分の思いが合致して楽しくお話していました。そのときに驚いたのが、他のA型施設も見学に行くように勧められたことです。見聞を広めることを親切にも勧めてくれました。帰る際は、やはり利用者さんたちが大きな声であいさつしてくれました。とても印象深い訪問でした。そして、他のA型施設も見学し、改めてTANOSHIKAで働く手続きを踏み、今に至ります。

~まとめ~

 どのような福祉サービスを利用することがよいか、それは人によって異なります。私の場合は、仕事内容、施設内の雰囲気、職員さんの対応など、TANOSHIKAを選ぶ決定打になることが多かったです。再発からTANOSHIKAに出会うまで5カ月かかりました。ゆっくり時間をかけて探したことも、よかったことだと思っています。

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ABOUTこの記事をかいた人

30代になりたて、統合失調症&適応障害持ちの、元教職員です。生物学が好きで、TANOSHIKAの仕事でなぜなに生物学を企画したり別に生物サイトを立ち上げたりしています。生物学習サイト「高校生物の学び舎」をはじめました。(↓のwebsiteをクリックで閲覧できます)